第226話『電車①』
世界には、目に見えるものと、
見えないままそっと寄り添っているものがある。
風や光のように、
形を持たない存在たちは、
ときどき僕らの肩をかすめて通り過ぎる。
それに気づく人は少ないけれど、
子どもたちは、その気配を知っている。
心で感じ取ることができるから。
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無人駅のホームに、タケルとアスは並んで立っていた。
線路はまっすぐ遠くへ伸び、遮るもののない空が大きく広がっている。
冷たい風が吹き抜けるたびに、ホームの端に置かれた古びた看板がカタカタと揺れた。
タケルのマフラーがはためき、アスの髪の先も光を受けてきらりと揺れる。
「アス、空ってさ……どこまで続いてるんだろう?」
タケルの吐いた白い息が、ふわりと舞い上がり、風に溶けて消えた。
アスは目を細め、風に流される雲を追った。
「ほんとはね、空の厚みは100キロくらい。地球を包む空気の層。でも、境目が見えないから、ぼくらには無限に見えるんだよ。」
タケルは小さく頷き、ホームの黄色い点字ブロックの上を、つま先でトントンと歩いた。
「有限なのに、どうしてこんなに広く感じるんだろう……」
そのとき、急に風が強く吹き、ベンチに置かれた落ち葉がくるくると舞い上がった。
アスは指でその動きをなぞるようにしながら言った。
「風の中にね、見えない住人たちがいるんだ。透明で形はなくても、空を走り回って遊んでる。」
タケルは手を伸ばし、舞い上がる葉を追いかける。指先に冷たい風が刺さる。
「……これが住人の通った跡?」
「そう。風がチクッとするのは、彼らが駆け抜けたからだよ。」
二人が見上げると、ちょうど雲のすき間から一筋の光が差し込み、線路の上を銀色に照らした。
アスが笑って言う。
「ほら、今のは遊びの合図。光にぶつかって、はね返ったんだ。」
ホームにかすかな地鳴りのような響きが伝わり、遠くから列車の音が近づいてきた。
けれど、二人は振り返らず、ただ風に目を細めて空を見上げ続けた。
陽は少しずつ傾き、光と影がホームをゆっくり移動していく。
タケルが小さな声で呟いた。
「……見えない住人たちと、僕らも一緒に遊んでるのかもしれないね。」
「うん。空を見上げるたびに、彼らはきっと僕らのそばを通り抜けていくんだ。」
列車がホームを通り過ぎ、風だけを残して去った。
二人の視線はまだ、光に満ちた空の奥行きを追い続けていた。
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見えないものを見ようとすること。
それは、世界を少しだけ広げることでもある。
風の中に誰かを感じるとき、
空の奥に声を聴くとき、
きっとその瞬間、
僕らも“空の住人”のひとりになっているのだろう。
線路の先の空は今日も続いている。
有限の世界の中で、
無限を感じるために。
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