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39話「しゃかいかけんがく」(前編)

社会科見学の行き先が、ぼくのじいちゃんのお寺に決まった。

べつに悪いことじゃないけど、なんだか胸がざわざわするのはなぜだろう。

ある日、タケルの小学校の社会科見学の行き先が、隣町の小さなお寺に決まった。


「あそこ、タケルのじいちゃんのお寺だろ?」


アスがそう言ってくすっと笑う。

タケルはうなずいたけれど、なんだか気持ちはそわそわしていた。


「……うん。でも、なんかちょっと緊張するんだ。じいちゃんの前だと。」


---


そのお寺には、いつもどこか冷たい風が吹いている。

夏の日でも、木々の影をすり抜ける風が、ひんやりと肌をなでるようだった。


校庭からバスに乗って、クラスのみんなで訪れたその寺は、

小さくて古いけれど、どこもかしこもぴかぴかに掃除されていた。

廊下の木の床は、陽の光が反射するほど磨かれている。


本堂の隅には鐘楼があるけれど、鐘はなかった。

屋根の下、空っぽの木の枠だけが残っていた。


「むかしね、鉄が足りなくなって、鐘を取られてしまったんですよ」


と、優しい声が聞こえた。


タケルのじいちゃんだった。

黒い袈裟姿で、丁寧に手を合わせてから、子どもたちの前に立った。


「みなさん、ようこそ。小さな寺ですが、今日はご自由にごらんください。

あまり見るところはありませんが……もし、なにかを感じてくだされば、それがいちばんのご縁です」


じいちゃんの声は、静かでやさしい。

だけど、どの子にも敬語で、特別扱いをしない。タケルにも、アスにも、他の子にも。

それがかえって、みんなを少しだけ静かにさせた。


---


「なにもいない……」


境内の端にある池を見て、アスがつぶやいた。

澄んだ水に、魚の姿はなかった。ただ、空と木の葉の影がゆらゆら揺れていた。


「鯉とか、いないのかな?」


と誰かが聞いたとき、じいちゃんが後ろからそっと言った。


「ええ、なにもいません。……かつてはいましたが、やめました。

『飼う』ということは、なにかを囲って、支配することですからね。

それよりも、このまま、なにもないままにしておくのも、美しいものです」


「……さみしくないですか?」


アスが聞くと、じいちゃんは笑った。


「さみしい、というのは、自分が“なにかを持っていない”と思うときの感情ですね。

そういう気持ちが起きたときこそ、自分がなにを求めているかが見えてくるのです」


---


タケルは、池の水面を見つめながら思った。


(じいちゃんの言葉って、頭に残る……でも、どこかこわい)


その時、風がふわりと吹いて、池の水面に葉が一枚、そっと落ちた。


(なにもない池に、なにかが落ちる……それって、自分の中にもなにか落ちたってことかな)


そんなふうに思った。


---


クラスのみんなは本堂のまわりを歩き、静かに質問し、

最後には住職であるじいちゃんが、一つだけ短い話をしてくれた。


「みなさん。お寺というのは“仏さまをまなぶ場所”と思われがちですが、

本当は“自分のことを考える場所”なのです」


「仏さまって……神さまとはちがうんですか?」


という質問に、じいちゃんは小さくうなずいた。


「ちがいます。でも……似ているとも言えます。

科学と宗教のちがいのようなものですね。

見ようとしているものは、同じかもしれませんが、たどり方がちがうのです」



---


その言葉を、タケルはずっと反芻していた。


(たどり方……?)



---


放課後、アスが言った。


「科学と宗教ってさ、ぜんぜんちがうって思ってたけど、

なんか、“ほんとう”をさがしてるって意味では、おなじかもな」


「どっちが正しいんだろうね?」


とタケルが聞くと、アスはニヤリと笑った。


「もしかしたら……“どっちか”を選ぶってこと自体が、まちがってるのかもよ」


---


タケルは、また池の水面を思い出した。


なにもないのに、空が映っていた。

風のない日に、水面だけがゆれることがある。

あれは、心のなかの風かもしれない。

ぼくは、そう思った。

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