第219話『兄の部屋⑧〜深い眠り…壱。』
日が沈み、夜の帳が境内を包む頃、居間には柔らかい灯りが灯る。
湯気の立つ料理と、小さな器の音が空気に溶け込み、部屋は静かに満ちていく。
眠気まなこで食卓を眺めるタケル、落ち着いたアス、そして微笑みながら料理を運ぶ龍賢。
この何気ない時間の積み重ねの中に、家族や友とのつながり、日常の温かさが静かに息づいている。
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日が沈み、気づけば夜の帳が境内をすっかり覆っていた。
灯りのついた居間に、湯気を立てながら料理が並んでいく。龍賢が一皿ずつ丁寧に置いていくたび、器が小さな音を立て、空気が満ちていく。
テーブルの向こうでそれを見ていたアスが、ぽつりと口を開いた。
「これ、誰が作ったの?」
龍賢は肩越しに振り返り、苦笑を浮かべる。
「俺だけど、なに?」
ソファに寝転んでいたタケルが、体を起こしながらくすっと笑った。
「ねぇ、兄ちゃんの料理はね、見た目は最悪だけど、味は見た目よりはマシだよ」
「マシって……手料理食べられるだけ感謝しろよ」
龍賢はわざとらしくため息をつく。
アスは顎に手を当て、料理を品定めするようにじっと見つめる。
「へ〜、何に感謝すればいい?」
「お前、本当失礼なやつだな」
呆れ声とともに、白いご飯をよそう音が響く。
タケルはアスの肩に寄りかかりながら声を立てて笑った。龍賢は箸を手に取り味噌汁をすすり、その隣の小さな動きを目で追う。
タケルは眠気に負けて頭をこくりと下げ、ジャガイモを掴もうとしてはぽとりと落とし、また掴もうとしている。
「タケル、大丈夫か?」
「ん……」と、夢の底にいるような声が返ってきた。
龍賢は小皿におかずを取り分け、タケルの前にそっと置く。
タケルは微笑み、「ありがとう」と言って口に運ぶが、噛む間もまたアスの肩へ重みを預ける。
アスは気にする様子もなく箸を進めるが、龍賢の視線がタケルに注がれているのに気づき、ちらりと顔を上げた。
「眠い……」
タケルは箸を置き、ソファにもたれ大きなあくびをもらした。
「寝たら?」アスは本をめくるような声色で言う。
「昨日も寝ちゃったから、今日はゲームしたいし」
言葉とは裏腹に体はずるりとずり落ち、びくりと目を覚ましてはまた閉じる。
龍賢は食事を終え、タケルの隣に腰を下ろす。
「タケル。眠いなら寝た方がいい。俺、隣にいるから」
タケルは目をこすりながら、アスを見て、それから龍賢に目を移す。
少し恥ずかしそうに笑って言った。
「隣?べつにぼく……そうだ!お風呂入ったら目が覚める」
ふらつく足取りで浴室へ向かうタケルを見送り、龍賢は苦笑しながら後を追った。
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タケルが眠気に揺れ、アスや龍賢がそっと見守るその様子。
言葉にされなくても伝わる安心感や、互いに居るだけで落ち着ける居場所の存在。
夜の光と湯気、そして小さな笑い声が、読者に静かで温かい余韻を残す。
体の疲れや眠気を忘れさせるわけではないけれど、心の奥にぽっと灯る、やさしい日常の光景がそこにはある。
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