第213話『兄の部屋〜②怖いと綺麗』
画集をめくると、世界は一瞬で変わる。
奇妙で荒々しいものも、静かで繊細なものも、ただ紙の上に閉じ込められているだけなのに、心の奥を揺さぶる。
怖さと美しさ、始まりと終わり——すべてがここに息づいていることに気づく朝。
ダリの画集をめくり終えると、ふとタケルは兄の本棚の隣にもう一冊ある画集に手を伸ばした。
「これも見てみようよ?」とタケル。
「もちろん」アスは肩をすくめて笑いながら頷いた。
ページを開くと日本画家、上村松園の繊細で静かな世界が広がっていた。
ぼくらはページをめくりながら、人物の細やかな表情や着物の描写に目を奪われる。
やがて、タケルの指がある一枚の絵で止まった。
「この絵……焔だって」タケルが小さくつぶやく。
赤を使ってないのに焔の熱が伝わってくる…静かに佇む女性の姿。怖いけど、少しだけ美しい。
「怖いけど、少しだけ綺麗だね」タケルがぽつりと言った。
アスはくすりと笑って、タケルを見た。
「へ〜、キミにしては詩的な感覚だね」
「どういう意味?」タケルが首をかしげる。
アスはページの女性の表情をじっと見つめ、ゆっくり答えた。
「怖いと綺麗は紙一重なんだ。たとえば、蛹から蝶になる瞬間を想像してみて。殻を破る瞬間は怖くて痛い。でもその先には、美しい羽が待ってる。怖さと綺麗さは、同じ瞬間に混ざってることがあるんだよ」
タケルはその言葉を反芻しながら、ページをもう一度見つめた。
炎のように揺れる赤と静かな顔。怖さと美しさが一緒にそこにある。
「なんか……この絵、ずっと見ていたくなる」タケルが小声で言った。
「そうだね」アスも静かに頷いた。「怖いけど、目を離せないっていうか」
そしてタケルの頭の中で、さっきのダリの卵の絵がふと重なる。
あの卵も、いつか必ず割れる。
蛹の殻も、卵の殻も、未来のために割れざるを得ない。
「怖いっていうのも、悪いことばかりじゃないのかもね」タケルがつぶやく。
「うん、怖さがあるから、綺麗さも際立つんだ」アスは静かにページを閉じながら答えた。
部屋には二人の小さな呼吸だけが響く。
まるで、絵の中の炎も、卵の未来も、ゆっくり揺れながら静かに時を刻んでいるようだった。
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怖さと綺麗さは、紙一重で混ざり合っている。
卵の殻も、蛹の殻も、いつかは割れなければならない。
その瞬間、恐怖と美しさが同時に訪れる。
タケルとアスが並ぶ静かな部屋には、未来の予感と小さな時間の振動だけが残り、絵の中の炎と共に、ゆっくりと刻まれていった。




