第37話「まわる まわる」
季節はうつろい、町の風は少しだけちがっていた。
アスの家に泊まった翌日、タケルは弟とアスといっしょに、ひとつの“まわるもの”を見た。
それはただの風車。でも、タケルの心にはなぜか深いざわめきが残った。
アスの家のちかくの空き地に、小さな神社がある。
そこに置かれた石の台座には、カラフルな風車がささっていた。
風が吹くたび、しゃらしゃらと音をたてて、くるくるまわる。
「これ、前からあるの?」
タケルが聞くと、アスはうなずいた。
「このへんの子どもが亡くなったとき、おばあちゃんたちが供えるんだって。風車はね、まわって、まわって――どこかへいくものの象徴なんだって。」
弟は、じっとそれを見ていた。
まるで吸いこまれるように、目をそらさず、ちいさな指で風車の羽根をつまむ。
そして、そっと自分の手で、くるくるとまわした。
その姿は、だれにも止められない“なにか”のようで――タケルは、胸がひやっとするのを感じた。
「アス……。ぼく、いまちょっと、こわくなったよ。」
「うん。わかる。」
アスがとなりで、小さくつぶやいた。
「くりかえすって、なんだろうね。
まわっても、まわっても、同じ場所にもどる気がする。
それって、自由じゃないんじゃないかな。
ずっと、何かの中心にひっぱられてる感じ……。」
弟はタケルたちの会話には入らず、風車をゆっくり、何度もまわしている。
タケルはふと、数年前の記憶を思い出した。
あの日…あの場所で……
水をすくって、光の反射をじっと見つめていた弟の姿を思い出す。
言葉より先に、世界の“動き”そのものを見ていたような、そんな目だった。
そのとき、後ろから声がした。
「おお、こんなところにいたのか。」
お坊さんの袈裟姿で、兄がにこにこしながらやってきた。
月参りの帰りだという。
「この風車のようなものを、人間の“業”といったりするんだよ。
欲や執着が風をおこし、自分で自分をまわしつづける。
でもそれに気づくことで、まわる輪から抜け出せることもある。
仏さまは、その風を“やめる”ことができた人たちなんだ。」
タケルは、弟を見た。
風車をくるくるまわす指。
でも、そこには恐れも、欲も、なにもない。
ただ、「ここに風がある」と感じる指だった。
まわることの中に、「迷い」もあれば、「静けさ」もあるのかもしれない。
「……ぼく、まだ、まわっていたいかも。」
タケルは小さくつぶやいた。
「それも、ひとつの気持ちだな」と兄はほほえむ。
アスは風車に目をやり、ポケットから小さな紙を出して弟に見せた。
そこには、絵カードが描かれていた。
【かえろう】【おやつ】【まってて】
弟は、ほんの一瞬アスの顔を見て、
「まってて」とオウム返しのように、つぶやいた。
タケルはなぜか、その声を聞いて、涙がこぼれそうになった。
人は、何度でも同じことをくりかえしてしまう。
でも、そのなかでしか見えない風もある。
弟のように、ただ世界の動きに触れているだけのまなざしが、
ぼくらの「まわりつづける理由」を、そっと問いかけている気がします。
そして、風がやんだとき――
もしかしたら、ぼくらも静かに立ち止まることができるのかもしれません。




