第199話『友達の誕生日④ 兎の影』
誕生日は、ただ一年を重ねる日ではなく、
家族の愛情やつながりが改めて浮かび上がる日でもあります。
若林さんの誕生日会に招かれたタケルたちが目にしたのは、
和と洋、世代を越えて調和する温かな時間でした。
そこには、“受け継ぐもの”の静かな輝きがありました。
奥から、柔らかな声が響いた。
「今日は、いろの誕生会に来てくれてありがとう」
姿を現したのは若林さんのお母さんだった。
胸まで届く長い黒髪を和柄のクリップで留め、深い緑のワンピースを纏っている。若林さんとお揃いの布地が、母娘の間に不思議な調和を生んでいた。よく笑う明るい瞳に、タケルは「本当はよく笑う若林さんの笑顔はこの人から受け継いだんだ」と直感する。
その後ろから、大きな盆を抱えて料理を運んでくるお父さんが現れた。
体格がよく、彫りの深い顔立ちに穏やかな笑みを浮かべている。まるで外国の俳優のようで、思わずタケルとアスは目を丸くした。
さらに、祖父母も続いて現れた。祖母は白髪をふんわりまとめ、青い瞳を輝かせている。そのまなざしがタケル、アス、そして露葉を包み込むように見つめ、柔らかく微笑んだ。
「この方たちが、今日来てくれた友達」
若林さんは小さな声で家族に紹介する。
タケル達の胸に浮かんだ疑問を、そのまま彼女は言葉にして答えた。
「祖母がイギリス人だから、父はハーフなの」
「えー!」
タケルとアスは顔を見合わせた。
タケルは目を輝かせ、少し声を上げる。
「じゃあ若林さん、クォーターなんだ! なんかすごい、かっこいい!」
アスは肩をすくめながらも、楽しそうに言う。
「家族まで和洋折衷なんだね」
露葉はそのやり取りを、静かに微笑んで見守っていた。
ダイニングには、大皿に盛られた料理が次々と並んでいく。和の漆塗りの器と洋風のプレートが混ざり合い、色鮮やかなテーブルが目の前に広がった。香ばしい湯気とバターの香り、醤油の甘い匂いが混じりあい、タケルの胃がくすぐられる。
「いただきます」
三人が箸を伸ばすと、その様子を家族は本当に嬉しそうに見守る。
噛むたびに味が広がり、そのたびに母の笑顔が花のように咲き、父の瞳が細く優しくなる。
——若林さんが「若林さん」でいられるのは、この家族の温もりに包まれているからなんだ。タケルはそう感じ、心が少し熱くなる。
露葉は、そんな家族の姿をしばらく目を細めて見つめ、右手で左腕を触り見つめる。
しかし次の瞬間、ふっと視線を伏せる。その横顔は、どこか遠くに心を馳せるようだった。
アスはその様子に気付き、ちらりと露葉を見てから声を落とした。
「若林さん、『兎の影』っていう骨董品屋さん、知ってる?」
若林さんは嬉しそうに頷く。
「もちろん。前に父とインテリアを見に行ったの。おじいさんが一人でされてるお店でね、雰囲気のある店と店主さんだった」
父もにこやかに付け加える。
「この部屋のインテリアも、ほとんど『兎の影』でオーダーしたものですよ」
タケルは驚き、露葉の方へ振り向いた。
「え? 『兎の影』って、お姉さんのお店?」
露葉は少し肩を揺らし、目を瞬かせた。
「数年前までは祖父がお店に出ていたの。でも……今は私が店番をしていて」
若林家の家族は一斉に「ええっ」と声をあげ、驚いたまま露葉を見つめた。
次の瞬間、感謝の言葉が口々にあふれる。
「ありがとう」「本当に助かってます」「素敵なお店ですね」「またお願いしていいですか?」「遊びに行っていいですか?」
露葉は頬を少し染め、居心地悪そうに両手を膝に揃えた。
「いえ、そんな……恐縮です」
テーブルの上の光景は、まるで時間ごと温もりに包まれたようだった。
器の一つひとつ、椅子の木目、祖母の青い瞳、そのすべてが「受け継がれたもの」としてそこに息づいている。
——誰かの手から、誰かへ渡されるモノ。
誰かの歴史を、次の誰かが引き継いでいく。
タケルはその景色の中で、若林さんが「昔のもの」を愛する理由が少しだけ分かった気がした。
過去の歴史は、掴もうとすれば指の間から零れ落ちる。
けれど「兎の影」のように、確かにそこに在り続ける。
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器や家具のように、人の思いもまた誰かから誰かへ渡され、
形を変えながら生き続けます。
若林さんが「昔」を愛するのは、
過去そのものが生きているからではなく、
その温もりを今に感じられるからなのかもしれません。
人は皆、見えない何かを受け継ぎながら生きている。
そんなことを思わせるひとときでした。




