第196話『友達の誕生日① 静かな友達』
古いものを愛する人は、時代の中で少しだけ孤独に見えることがあります。
でも、その孤独は決して寂しさではなく、静かに時を越えて人とつながる力でもあります。
今回は、そんな若林さんの誕生日をめぐる、小さな出来事のお話です。
金曜の夕方、放課後の街は少しずつ冷たい風に包まれていた。
タケルとアスは並んで歩き、露葉が働く骨董品屋に入った。古い木の扉を押すと、鈴の音がころんと鳴る。
店内は淡い灯りに満ち、硝子や陶器が静かに並び、どこか時間が止まったようだった。
二階には露葉が暮らしている。タケルは棚に並ぶ小物を眺めながら声をかけた。
「お姉さん、ぼくたちのお小遣い合わせて買えるくらいでさ、女の子が好きそうなものないかな?」
――明日、若林さんの家に行くことになっている。
発端は、昨日の放課後、図書館でのことだった。
ページをめくる音だけが漂う夕暮れの図書室で、若林さんは本から目を離さずに言った。
「今度の土曜日、私の家に遊びに来ない?」
タケルは思わず顔を上げる。
「え? 行く行く! っていうか若林さんが誘うなんて珍しいね。どうしたの?」
彼女は指先で本の角を押さえながら、淡々と続けた。
「……私ね、土曜日、誕生日なの」
「誕生日!」タケルが少し大きな声を出す。
若林さんはページをめくりながら言葉を重ねた。
「それでね。父と母が“友達呼んで喫茶店でパーティーしよう”って」
アスは本を読む手を止めずに、小さく呟いた。
「異国情緒」
タケルは眉をひそめてアスを見やる。
「なにそれ?」
「喫茶店の名前」と若林さんが静かに答えた。
「うち、喫茶店なの。大正時代を意識した外観と名前で……」
「へぇ〜昔っぽい!さすが若林さんと親子。好きなものが同じなんだね」
タケルは声を弾ませて笑った。
若林さんはうつむいて、本を閉じる。
「でもね、毎年、誕生日は定休日にしてたの。今年は“友達を呼んで”ってうるさくて……。私、友達なんていないって言ってるのに、信じてもらえなくて」
そう言って、小さくため息をついた。
タケルは机に身を乗り出すようにして言った。
「楽しそうだよ! ぜひ行くよ。ねぇ、アス」
「うん。楽しそう」アスも静かに頷いた。
タケルはにっこり笑って言葉を足した。
「若林さん、ぼくたち友達だよ」
しばらく沈黙が落ちた。やがて若林さんは本を置き、顔を上げる。
「……ありがとう」
微笑んでそう呟いた。
――若林さんは昔のものが好きだった。古い建物、古い人々の言葉、詩。
彼女は今を生きながら、いつも“昔”を見つめている。まるで時を越えて、静かに昔の人と対話しているように見える。
現代には少し静かすぎるのかもしれない。
でも、その静けさごと彼女を、ぼくたちは確かに好いていた。
---
「友達なんていない」とつぶやいた若林さんの言葉は、冷たさではなく、長い時の中にたたずむ静けさのようでした。
だからこそ、タケルとアスの「友達だよ」という一言は、確かに彼女の世界に灯りをともしたのかもしれません。
古いものを愛する彼女の心に、その日だけは現在の光が差し込んでいた――そんな誕生日の始まりでした。




