第194話『特別な人』
誰かに名前を呼ばれること。
それは、自分が「ここにいる」と確かめられる瞬間でもあります。
でも、その声がもし、もういないはずの誰かの声だったとしたら――?
今回のお話は、タケルが雪の午後に出会う、やわらかな「呼び声」の記憶です。
冬の午後、教室の窓際。
タケルはうたた寝していた。
先生の声、隣の生徒の囁き、日差しが差し込む窓際の暖かさ。寒い冬のはずなのに、心までふんわり温かい。
遠くから、かすかに足音がする――ような気がした。
近づく、立ち止まる、また遠ざかる。眠い目をこすりながらも、気配を追う。
耳元で、柔らかい声が呼んだ。
「タケル…」
体がびくっと跳ねる。目をこすっても、教室の景色はいつもと同じ。
そしてもう一度、耳元で囁く。
「タケル…みつけた」
タケルは思わず目を見開く。
誰もいない教室。声だけが、まだそこに残っている。
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放課後、雪の舞う帰り道。
タケルはまだ、耳に残る声の余韻を胸に抱えていた。
「アス…」
「なに?」
「さっき6時間目…誰かが耳元で呼んだ気がする。『タケル…みつけた』って」
アスは静かに雪を踏む足音に合わせて歩き、少し考え込む。
「みつけた?キミを?」アスは低く笑った。
「うん。確かにそう聞こえた」
アスはタケルをチラッと見た。
「幽霊かも」
「え?幽霊?こわいよ!幽霊がぼくを探すの?」
「キミ何かした?」と言ってくすっとアスは笑った。
タケルは黙り込み声を思い出す。
優しく柔らかな弱い声…透き通る静かな声。
聞き覚えがある。
少し…円の声に似ていた気がする。
「ねぇアス…円ってさ、蜘蛛みたいに特別なのかな? みんな忘れない。」
アスは雪の舞う道に目を落とし、少し間を置いて言った。
「蜘蛛っていうより、蜘蛛の糸っぽい。姿がないのに絡みつく糸。美しい糸をはる、そんな存在かも。」
タケルは雪の舞う空を見上げる。
白く光る枝先、残る粉雪。目に見えるものも、見えないものも、すべて繋がっているように感じた。
二人の足音だけが冬の道に響く。けれど、その静かな世界には、確かに蜘蛛の糸のように、円の存在がそっと残っていた。
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蜘蛛の糸は、目には見えにくくても、確かに存在しています。
円の存在もまた、同じように、消えることなくふたりの世界に残っていました。
「特別な人」とは、ただ思い出される人ではなく、目に見えない糸となって、生きている者と静かに結びつき続ける存在なのかもしれません。
タケルが耳にした声は、そのことをそっと教えていたのでしょう。
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