第182話〜アスの心『恋③ タケル』
冬の午後、冷たい空気が街を包む中で、人は少しの瞬間に心を揺らされる。
過去や未来、変わることと変わらないこと、そんな不確かなものを抱えながらも、子どもたちは光や温もりに触れ、静かに確かな時間を紡いでいく。
タケルの家で遊ぶことになり、僕たちは公園を後にした。
冬の空気は一層冷えこみ、タケルは肩をすくめて緑のパーカーのフードを深くかぶる。ポケットに手を突っ込み、歩道と車道の境界を器用に歩いていく。その横顔はまだ子どもでありながら、どこか遠い場所を見ているようだった。
弟はそんなタケルの真似をして、よろめきながら境界線を進み、スマホを構えて道の動画を撮るのに夢中になっていた。
僕はその二人の背中を追いかけながら、小さく口にした。
「ラプラスの悪魔」
先を歩いていたタケルが振り返り、フードの影から濡れた瞳をのぞかせる。
「なに?また神話とかの話?」
「違う。昔の人の考え方。宇宙のすべての現象は、過去の状態と自然法則によって決定されてるっていうやつ。未来は決まってる、って」
タケルは目を瞬かせてから、短く吐息をもらした。
「全部決まってるの?…なんか、こわい」
「でも、さっきキミは絶対好きにならないって言ってた」
僕がそう告げると、タケルは立ち止まり、ため息をついた。
「そんな難しいこと考えて答えてないよ」
僕はじっと、彼の横顔を見つめる。
「じゃあ、どうして“絶対”がわかるんだろうね」
タケルは返事をせず、考え込むように視線を落とした。
その時、金木犀の甘い香りが風に乗って漂ってきた。
タケルがはっと顔を上げる。
視線の先、本堂の階段の前に露葉が立っていた。紺色の薄いワンピース姿。冬の寒さをものともしないその姿は、時間の外にいるように揺るがなかった。
彼女を見つめるタケルの瞳が、切れ長に濡れて揺れる。
本堂から兄が現れる。露葉はふわりと微笑み、兄は彼女の肩にそっとコートを掛ける。二人のあいだに流れるものは、僕の知らない深さを湛えていた。
横目でタケルの表情を盗み見て、僕は露葉に視線を戻した。
「もしかしたら、変わるかも」
タケルは彼女を見つめたまま、静かに首を振る。
「変わらない」
僕はその答えに、思わず小さく笑った。
「変わるということにも、いろいろある」
その時だった。弟が僕の手をすり抜け、弾かれたように駆け出した。
「つーは!つーは!」
小さな両手を大きく広げ、露葉に向かって走っていく。
驚いたように目を丸くした彼女は、すぐに膝を折り、弟を抱きとめた。
その顔には、冬の寒さを溶かすような温かな笑みが浮かんでいた。
「つゆは」
僕は呟く。
「シン…名前言えるようになったんだね」
タケルの声には、驚きと安堵と、どこか切なさが混じっていた。
僕は二人の姿を見ながら、ふと微笑む。
「変わっていくから。未来はわからないから、ぼくたちは明日を夢見る」
雪はまだ降っていない。それでも白い空気の中で、未来は小さな灯りのように揺れていた。
---
絶対だと思ったことも、確かだと思ったことも、未来の光の前では揺らぐ。
それでも人は、微かな温もりや笑顔を頼りに、歩みを止めずに夢を描く。
今日の小さな出会いが、未来の灯りをそっと照らす──冬の空気に溶ける希望のように。
--




