第34話「あめいろのまつり」
季節外れの、小さな商店街のお祭り。
りんご飴の赤い舌。紙のヨーヨー、太鼓の音、風のにおい。
まるで宇宙から落ちてきたひとつの点景みたいに――
その子は、ニコニコしていた。
今日はアスの家に泊まった翌日。
昼すぎ、タケルはアスと弟と三人で、商店街の小さな春の縁日に出かけた。
アスの弟は、まだ五歳。
弟の小さなリュックには、紐がついていて、タケルはそれを軽く握って歩いていた。
まだ手をにぎられるのは苦手なのだという。
以前支援施設で弟と会ったときも弟は、言葉にならない何かを、ずっと水に手を入れて探していた。
「こっち行こう」
アスが言うと、弟はうなずく代わりに、小さく言った。
「……こっちいこう」
その声は小さくて、ひとりごとのようで、でもちゃんとアスに返していた。
タケルは少し驚いた。自分が言ったときには弟は何も言わなかったのに。
(やっぱり、アスのことが好きなんだ)
弟は人混みにびっくりするかと思ったけど、意外にもニコニコしていた。
道行く人をじっと見ている。
でもそれは「人」として見ているというより――色、形、動き、音。
まるで、ぜんぶをそのまま受け取っているように感じた。
「これ、やってみる?」
アスが金魚すくいを指さすと、弟は金魚ではなく、
水面にうつる赤い紙の旗の方をじっと見ていた。
「きんぎょ、きんぎょ」
「やる?」
「……やる?」
タケルは、弟のそんなオウム返しを聞いて、ふと前に見た光景を思い出した。
夕方、風に揺れるカーテンを、じっと見ていた弟の姿。
まるでその奥に、まだ名前のない世界を見ていたようだった。
そして、ふとタケルは思った。
弟が見ている世界は、ぼくらと違うのかもしれない。
だけど、その世界が「間違っている」わけではない。
むしろ――どこか、仏教で言う「空」のように、名前や意味をつける前の、
ただ“ある”という感覚に近いのかもしれないと。
小さな太鼓の音。かすかに降ってきた雨粒。
そして、りんご飴を口に入れた弟が、真っ赤な舌を出して笑った。
そのとき、遠くの空の向こうに、タケルはなにかがすっと消えていくような感じがした。
言葉にはならないけど、なにかが、そこに“あった”。
この物語では、はじめて弟の視点に少しだけ触れました。
彼の世界は、音や光や色や言葉が渦のように流れている場所かもしれません。
でもその中で、アスの声だけは届いている。
それがどんなに尊いことか、タケルは少しだけ、わかった気がしたのです。




