第168話『若林の色』
冬の昼下がり、図書室の窓から差し込む光は静かで柔らかい。
ページをめくる音、ふたりの小さな呼吸、そして差し込む光の動きだけが、時間の存在を教えてくれる。
この日は、タケルにとって、少しだけ新しい世界を感じる日だった。
昼休み。図書室の窓から差し込む光が、机の上の本のページを白く照らしていた。
アスは窓辺に座り、頬杖をついて若林さんと向かい合っている。
ふたりの間には、静かな会話とページをめくる音だけが流れていた。
「昨日の夕方、図書館に行ったら閉まってた」
若林さんは本から目を離さず、ぽつりと言う。
「月曜日だから」
アスも同じように本から視線を外さない。
「あ〜そうだった」
そこへタケルが息を切らせて入ってくる。
「…いた! ふたりとも何してるの?」
「読書」
「読書」
声が揃い、タケルは肩を落とした。
「なんだよ、その同時返事…」
タケルはアスの横の椅子を引いて座る。
「タケルくんは本読まないの?」若林さんが少しだけ首を傾げて聞く。
「うーん、読むけど…なんかふたりだけの空気に入りにくいんだよな」
アスがページをめくりながら、ぼそっと言った。
「入りにくいんじゃなくて、入ってこないだけ」
「そうかな…」タケルは机の上の本のタイトルを覗き込む。
若林さんの指先が、その本の端を軽く押さえた。
「読む?」
「…うん」
ふとタケルは思い切って質問した。
「ねぇ、若林さんって"いろ"名前なんだよね?珍しいね」
若林さんはページから目を上げ、少し笑う。
「母の名前がみどりで、父が溺愛してて、私に“いろ”って付けたんだって」
「いろ…緑?」
「うん。若林の色は緑」
タケルはくすりと笑い、アスも静かに頷いた。
タケルはふたりのやり取りを見つめながら、いつの間にか自分の心が柔らかくなるのを感じた。
サラサラと揺れる若林さんの髪、アーモンド型の瞳、ページをめくる指先の柔らかさ。
ただそこにいるだけで、世界がほんの少し温かく、静かに広がる気がした。
ページをめくる音と、窓の外の冬の光だけが、ゆっくりと時間を刻んでいく
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名前の由来や小さな仕草、静かな会話の一つ一つが、日常を少し特別にする。
タケルは、その空気の中で、友達と過ごすことの意味と、目に見えない心のつながりをそっと知ったのだった。




