第6話「未来を描いた絵」
「未来」って、もう決まってるんでしょうか?
それとも、自分で選べるものなんでしょうか。
このお話は、ふしぎな“未来の絵”と出会ったタケルたちが、
「未来とはなにか?」を見つめる一日です。
まだ起きていないものを“観る”こと──
それは、選びなおすことかもしれないし、手放すことかもしれません。
きっと、あなたのなかにも、まだ描かれていない未来があります。
放課後の課外授業、美術館へ
「タケル、ここ……“時間”のにおいがする」
放課後、美術館のロビー。
クラスで社会見学に来たはずなのに、アスは展示室の入口で立ち止まっていた。
「においって……絵に?」
「ううん、“まだ来てないもの”のにおい」
変なことを言うなあ、と思いながらも、タケルは妙に背中がすうっと冷えるのを感じた。
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展示室:ひとつだけ“誰も近寄らない”絵
展示室には近代の絵画が並んでいた。けれど、ひとつの壁だけ、周囲にロープが張られ、人が寄りつかない。
そこに飾られていたのは、タイトルもプレートもない、灰色がかった奇妙な風景画。
タケルは、絵の中に自分とアスが立っていることに気づく。
「……これ、ぼくら?」
アスもそれを見て、静かにうなずいた。
「これは“未来の記録”だよ。誰かが“これから起きること”を、なぜかここに描いたんだ」
「でも、未来って……まだ起きてないよね?」
「うん。だから“観たら、変わっちゃう”かもしれない」
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不思議な“美術館の人”との出会い
そのとき、後ろから声がした。
「この絵ね、たまに変わるのよ」
振り向くと、制服を着た美術館の職員らしき女性が立っていた。
「観に来た人によって、絵の中が少しずつ変わるの。だから本当のタイトルは“未完成の風景”って言うの」
タケルが聞いた。
「だれが描いたんですか?」
「さあ……でも、いつの間にか“ここにあった”の。気がついたら、描かれていたのは、昔亡くなった友だちに似ていてね」
彼女は笑ったが、どこか遠い目をしていた。
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絵の中で“消えていた未来”に出会う
絵をよく見ると、背景の町並みに、見覚えのある廃ビルが描かれていた。
「この場所……ぼくらがこの前、行った町だ」
「でも変だよ。ぼくら、あの町でこんなことしてない」
そう、絵の中では──
アスがいなかった。
タケルはひとりで、町の中心に立っていた。
「……これは、“ぼくがアスに出会わなかった未来”?」
アスは黙ったまま、絵の中を見つめていた。
「未来は一つじゃない。でも、“描かれてしまった未来”は、ときどき強くて、変えるのがむずかしくなることがある」
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エピローグ:ノートへの記録と気づき
帰り道、美術館の出口。タケルは振り返って言った。
「未来って、“見ると決まっちゃう”の?」
「見方によるよ。観測するってことは、未来に触れるってこと。でも、“選べる未来”もある」
「じゃあ、今日ぼくらが観た未来は……変えられる?」
アスは、すこし寂しそうに笑った。
「タケルが覚えてるなら、きっと変えられるよ。“観測”は、忘れなければ意味になるから」
その夜、タケルのノートにはこう書かれた。
《うちゅうかんさつノート6》
「未来は“描かれて”いても、ぼくらが“描きなおせる”。でも、観たことを忘れなければ。」
ページの端には、アスの小さなメモがあった。
「未来は“観る”ものじゃなく、“えがく”ものだよ」
このお話では、「観測すること=未来に影響を与えること」というSF的テーマを、
“美術館の絵”という静かな舞台にのせて描きました。
「未来は決まっているのか」「選べるのか」──
それは古くて新しい問いであり、量子物理でも、哲学でも、よく語られます。
アスのような存在は、私たちに問いかけます。
**「あなたはどんな未来を“描きたい”ですか?」**と。
未来は、ただ“来るもの”じゃなく、“向かってゆもの”かもしれません。
お願い
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
「未来」というテーマは、とても大きく、そして身近なものです。
あなたの未来が、少しでも“えがきたい未来”になりますように。
次回の《うちゅうかんさつノート》も、どうぞお楽しみに。
また、タケルとアスの旅をのぞきに来てくださいね。
「未来は“観る”ものじゃなく、“えがく”ものだよ」──アス