第145話『ぼくをえらんだひと』
「生まれてくる子どもは、自分で親を選ぶのかもしれない」
そんな話を聞いたことがあります。
信じるかどうかは人それぞれ。
けれど、もしそれが本当なら──
この世界に静かに笑う、あの子の目に、私たちはどう映っているのでしょう。
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お寺の縁側で、ぼくとアスは並んで座っていた。
朝の光が、畳の上にやわらかい影をつくっている。
アスの弟が、少し離れたところで、白い紙の切れはしを手に持って、風に舞わせていた。
風が吹くたび、ひらひら、ふわふわ、まるでそれが空を飛ぶものみたいに見えた。
「……なんでさ、人って、生まれてくるんだろうね」
ぼくは、ふと口にしていた。
アスはちょっと笑い
「嬉しいな。キミの疑問がボクっぽくなってきてる」
答えを求めたわけじゃない。ただ、聞いてみたかった。
アスは少しのあいだ、黙った。
「うちの弟はさ、たぶんこの世界に興味なかったと思う」
「え?」
「でもね、それでも来たんだと思う。この“まちがいだらけ”の世界に」
アスの弟は、今度は石を拾って、それをじっと見ていた。
光があたって、キラッとした部分に、目をとめてる。
「たまにさ、弟が笑うときあるんだ」
「うん」
「それ、たぶん、“よかった”っていう顔だと思う。何が、とはわかんない。でも、生まれてきたことが……ちょっとだけよかったって、そういう時が、あるみたい」
ぼくは、その笑った顔を見たことがあった。
静かに、でもはっきりと、世界と通じ合ったみたいな顔。
「アスの弟は、アスを選んで生まれてきたのかな」
「さあ。でもね、そうだと思った方がいいと思ってる。だって……ぼくが勝手に選んで“つれてきた”って思ったら、こわいからさ」
「……」
「でも、“弟が選んだ”んだったら、ぼくにできるのは、その選んだ理由を探すことなんだよ」
アスが言った。
「それが、ぼくの役目だと思ってる」
アスの弟が、石を水の中にぽちゃんと落とした。
波紋が広がって、また静かになった。
風がまた吹いた。ぼくの袖を、すこしだけ揺らした。
「ぼくはね、兄ちゃんを選んで生まれてきたと思う」
「へえ、どうして?」
「だって、むかしから仏さまの話してくれたし、空のこと、時間のこと、たくさん教えてくれた。なんか……そういう話を聞きたかったんだと思う、うまれる前から」
アスはそれを聞いて、ちょっとだけ笑った。
「おたがい、変な兄弟を選んだね」
ぼくも笑った。
アスの弟が、今度は手で水をすくって、じっと見ている。
その手がきらきら光っていた。
それはまるで、遠くからここに来た“しずかな宇宙人”みたいだった。
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この世界は苦しみに満ちているけれど、
彼らはそんな場所にあえて来てくれたのかもしれません。
風のやさしさや、影のぬくもり──
小さな美しさを、私たちに思い出させるために。
彼らを通して見る世界は、たしかに美しいのです。




