第138話『秋の寂しさ』
秋という季節には、不思議と「終わり」や「さびしさ」の気配がただよっています。
夕焼け、落ち葉、虫の声……それらはすべて、“何かが去っていく”瞬間を私たちに見せてくれます。
今回のお話では、『枕草子』の「秋は夕暮れ」を手がかりに、タケルとアスがその「さびしさ」の正体について語り合います。
心がしずかになるような、秋の夕暮れのひとときを描きました。
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放課後の図書館は、しん……としていた。
誰もいない空間に、壁の時計の「コチ、コチ」という音だけが、ゆっくりひびいている。
タケルは、窓ぎわの席に目をやった。
そこには、アスがいた。いつのまにか眠っている。
机の上には、一冊の本。ひらかれたままのページに、書かれていた文字。
「秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに……」
(……あ、枕草子だ)
タケルはその横に腰を下ろす。
ふと、窓の外を見ると、葉っぱがゆっくりと風にまかれていた。
「なんか……秋ってさ、さびしいよね」
タケルがぽつりと言うと、アスは目をひらいた。
「さびしいのが、秋だからね」
そう言ってアスは、机の上の本をタケルに押しやった。
「清少納言も、書いてたよ。“秋は夕暮れ”って。さびしさと美しさが、いっしょにあるって」
「……“夕日のさして、山の端ちかうなりたる”」
タケルは声に出して読みながら、ぼんやりと思い出していた。あの船越先生のことを。
「ねえアス。先生がさ、秋の空を見るのが好きだったのって……何か理由があったのかな」
アスは、タケルのその目の奥をじっと見つめた。
「ある雨の夜に、家族で出かけたんだって。誕生日だったんだって……息子さんの。なのに……」
「……交通事故だよね」
タケルは、小さくうなずいた。
「旦那さんと、息子さんは……亡くなったって、兄ちゃんが言ってた。先生も、一度は……」
「でも、戻ってきた」
アスが目を伏せた。
「だから見えてる世界だけが“すべて”じゃないって、あの先生は知ってたんだと思うよ」
タケルは、静かに窓の外を見つめた。
風が吹いて、落ち葉が舞う。
校庭のはしっこで、弟が落ち葉を両手ですくって、じっと見つめているのが見えた。
「さっき、図書館の先生が言ってた。秋って、セロトニンっていう物質が減る季節なんだって。だから心がさびしくなるんだって」
「うん。光が減るからね」
アスは言った。
「でもね、それだけじゃないよ。人間は、“終わっていくもの”を見てると、さびしくなるんだ」
タケルは、空を見あげた。
夕焼けが、うすいオレンジ色ににじんでいく。
「……でもさ。さびしいのに、見ちゃう。夕焼けって、そういうものなんだね」
「うん」
アスは、にっこり笑った。
「清少納言はね、さびしいものを、“美しい”って書いたんだよ。
それって、ちょっとすごいことだよね」
>さびしさって、悲しいだけじゃないのかもしれない。
“終わっていくもの”を、ただ見つめる。
そのまなざしのことを、“美しい”って呼ぶんだ。
そして、ぼくらはそうやって、すこしずつ大人になっていくんだろう──。
タケルは、机にひろがった本をそっと閉じた。
私たちは、「さびしい気持ち」になると、どこか悪いことのように感じてしまいがちです。
でも、さびしさには「美しさ」や「思い出」が重なっていることがあります。
夕暮れの空を見て、胸がきゅっとなるのは、その空に、自分の大切な何かを見ているから。
清少納言が千年前に書いた言葉が、いまの子どもたちにも響く──
そんな時間を、物語のなかにそっと残しました。




