第136話『前編〜宇宙ばはあのうた』
ふざけたあだ名が、実は宇宙の入口だった──
先生がときおり見せる“奇妙な目線”や“詠み方”には、子どもたちが知らない背景がある。
今回の物語では、臨死体験を経て変化した人の視点から、「歌」「記憶」「宇宙」とのつながりを探ります。
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自習中に現れたのは、音楽の船越先生だった。
クラスのみんなは、そっとため息をもらした。
「ゲっ。折角の自習なのに船越じゃん」
サラがつぶやく。
「船越宇宙ババア、マジでうるさいから盛さがる……」
ユウシンが小さく口をとがらせる。
「早く定年して宇宙に帰って、年金で暮らせよな」
カイトがぼそっと言ったのが、サラのツボに入った。
「ウケる〜宇宙ババア、年金で暮らせ!」
静かな教室にくすくす笑いがひろがる。
百人一首のプリントを配る先生に、生徒のひとりが手をあげた。
「先生、これって何のために覚えるんですか?」
船越先生は少し笑って、黒板に背を向けると、静かにこう言った。
「百人一首はね、昔の人を感じるためにあるのよ。
それに歌と同じで、何かのために覚えるんじゃないの。
私たちが“宇宙から生まれた”ことを思い出すために、歌うのよ」
そのままの流れで、先生は一首、詠みはじめた。
和歌というより、まるで能のような、宇宙語のような、そんな響き。
クラスがざわつく。
「ヤバ…」「こわ…」「やっぱ宇宙人だわ」
小さな声が飛び交った。
──放課後。
「船越先生、すごかったね。ぼくちょっとこわかったよ」
「うん。すごかった。……ここまでとはね」
アスがめずらしく、すぐに言葉を返してきた。
「ねー、前から変わった先生だったけど、今日はほんとに別の星の人みたいだったよ」
「へぇ〜、キミがまさかボクと同じこと考えてたなんて、嬉しいな」
「普通、みんな思うよ!」
アスは笑わず、すっと立ち上がってランドセルを背負い、歩きはじめた。
タケルもあとに続く。
「でも、変な先生だよね。宇宙に届く声ってなに? ねぇ、もしかしてほんとに宇宙人だったりして!」
そのとき、アスがふと立ち止まって、ひとつの扉をあけた。
ガラガラ──。音楽室だった。
船越先生がピアノを弾いていた。小さく、うたっていた。
その声はとても静かで、誰かの耳元だけに届くようだった。
タケルが一歩入ると、先生は気づいたように手を止めた。
「……あら、アスくん。また来たの? 今日はタケルくんも一緒ね。どうしたの?」
タケルは少し戸惑って、アスを見た。
「また? アス、よく来るの?」
でもアスはタケルに答えず、先生をまっすぐに見つめた。
「先生、また行ったんですか?」
先生は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにやわらかい笑顔にもどって、
「先週ね。久しぶりに……宇宙に」
と答えた。
「先生、また会えますか?」
「アスくん……きっとまた会えるわ」
静かに流れる空気の中で、タケルは何も言えなかった。
──帰り道。
「ねぇアス、さっきのあの、宇宙にとか、また会えるとか……なんだったの?」
「……タケルは“臨死体験”って知ってる?」
「え? リン……死? し、死ぬやつ?」
アスは少しだけ笑って、
「死ぬ前に見る世界。そこでね、人によっては、宇宙に出たり、過去を見たり……未来をさまよったりする。
先生は、昔そういう経験をしたって……ボクには、前にこっそり話してくれた」
タケルは小さく息をのんだ。
「彗星を、宇宙の外から見た話もしてたよ。
その尾の先から、地球に戻ってくる旅の話。
時間がさかのぼるみたいに……ね」
アスの声は、いつもより低く、遠くから聞こえるようだった。
「死にかけたとき、人は“本当のところ”に一度戻るんだってさ。
そこは宇宙の根っこみたいな場所で、音楽や詩や……百人一首も、そこから来てるのかもしれないよ」
タケルはなにも言わず、アスの背中を見つめながら歩いた。
船越先生…"宇宙ババア"は、もしかしたら本当に──宇宙から来た人だったのかもしれない。
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木内鶴彦さんの臨死体験は、宇宙と時間、そして“いのちの記憶”を感じさせる深い内容です。
物語に登場する船越先生もまた、そのような体験を経て、
現実と非現実のあわいを生きる存在として描かれました。
「ふざけたあだ名」や「こわい先生」の奥に、本当の宇宙が隠れているかもしれません。
子どもたちはまだ、それに気づかないだけなのです──。
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