第130話『不在のパーティー後編 』
人の姿をしているけれど、何かちがう──
言葉を使わない彼の行動は、ときどき、まるでこの世界のルールと少しだけずれているように見える。
でも、そうやってふれてくる小さな“ずれ”が、
ぼくたちの思い込んでいた「ふつう」を、そっとゆらす。
ふしぎな静けさの中にある“声にならないもの”。
それに耳をすませたくなる日が、きっと、あなたにもある。
夕暮れの光が、畳に長く影を落としていた。
障子越しに漏れる空の色は、少しだけ雨の気配を残している。
アスの家には、どこか昔の時間が流れている。
障子の音も、ちゃぶ台の木目も、壁の染みも、みんな静かに呼吸していた。
その日の午後、アスは小さな白い皿をふたつ、台所から運んできた。
皿の上には、薄く切られたチーズケーキがひと切れずつ。
「ケーキだよ、しずかにね」
アスはそう言って、皿をちゃぶ台の上にそっと置いた。
声は小さく、まるで何かを呼び寄せるようだった。
すると奥の廊下から、かすかな足音が聞こえてきた。
シンが、音もなく現れる。
色素の薄い、まっすぐで癖のない髪は肩まで伸び、光を透かしていた。
その髪の隙間から、黒い瞳だけが、じっとこちらを見ている。
何も言わず、ただケーキを見つめていた。
アスがゆっくりと皿を差し出すと、シンは小さく頭を下げて、それを受け取った。
そしてまた、音を立てずに廊下の奥へと戻っていく。
まるで最初からそこにいなかったかのように。
しばらくして、別の部屋から遠くガチャガチャという音が響く。
誰もいないはずの台所の方で、戸棚が静かに開く。
少しして、シンはまた音もなく通りすぎた。
手には、スプーンを持っている。
それがシンの“いつもの順序”なのだった。
タケルがシンの行動を目で追っていると
アスはケーキを一口だけ食べながら、小さく笑って言った
「この間までまったく姿を見せなかった。」
タケルはシンの居る方を見ながら
「少しずつ近付いているんだね」と呟く。
アスは頷きながら言う
「前は入れていた場所も、まるで初めて来たか
のように佇み、入れなくなる。」
タケルはケーキを見つめながら
「そっか…シンはむずかしいね。」としんみり言う。
「うん。誰かが遊びに来るとね、すっと気配を消して気づくとすぐそばに立っていたりする。
笑わず、話さず、指もささず、ただどこかを見ている。」とアスは答えた。
シンにとっては、こちらのほうが“透明人間”なのかもしれない。
しばらくしてケーキを食べ終わったのか、シンは小さく頭を下げて皿を置きにきた。
几帳面で、丁寧で、律儀な動作。
そして、また音もなく部屋の奥へと消えていった。
皿の置かれた場所だけが、すこしだけ空気を変えていた。
誰にもわからないような、ほんのすこしの、透明な変化。
アスはそれを目で追いながら、ぽつりとつぶやいた。
「ねえ、ぼくたちの“ふつう”って、なんなんだろうね」
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声にならないものが、部屋の空気をふるわせる。
それに気づける感受性は、特別ではなく“もうひとつの普通”なのかもしれません。
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