第125話『花が咲く意味』
朝の本堂。花の香り、光の影。
ふとした会話から始まる問いは、
「意味を持たない美しさ」についてだった。
アスとタケルの心の奥に芽生える、“純粋な哲学”。
この回では、役に立たないものの強さ、
そして「意味をつける前の世界」をそっと見つめます。
朝の本堂は、しんと静かだった。
畳に落ちた木漏れ日が、時間の形をゆっくり変えていく。
アスとぼくは、仏さまの花を入れかえていた。
今日は日曜で、お父さんのお経の声が、いつもよりちょっと長い。
「なんで仏さまの花って、いつも菊なんだろうね?」
ぼくがそう言うと、アスは手をとめて菊の花を見つめた。
白くて、まっすぐで、少し冷たそうな花。
「枯れるのが、ゆっくりだから……かな。
それとも、“かっこいい死”って感じだからかも」
「かっこいい死……?」
「うん。なんか、菊ってさ。
怒らないし、悲しまないし、誰に何も求めないのに、
そこにちゃんと咲いてるでしょ。
ぜんぶ黙って、受け入れてるみたいな感じ」
アスの声はひそやかで、花の影みたいだった。
ぼくはうなずきながら、しおれた花を引き抜き、
新しい水を花立に注ぎ入れた。
冷たい水の音が、静かな空気にひろがった。
「午後から、病院行くんでしょ?」
ぼくは聞いた。
「うん」
「明日、シン退院だね。……よかったね」
ぼくは、ちょっと嬉しくなって笑った。
アスも、にこっとした。
でも、声は小さかった。
「うん。嬉しいよ」
それだけ言って、菊の茎をそっと整えた。
花の間から、金色の仏さまがこっちを見ていた。
笑ってるようでも、泣いてるようでもあった。
「……さ、できたね」
アスが言って、ふぅっと息をはいた。
「ねえ、タケル」
お寺の石段を降りながら、アスがぽつりと聞いてきた。
「花ってさ、だれのために咲いてるのかな」
「え?」
「だってさ。
お墓にも咲いてるし、ゴミ捨て場の横にも咲いてる。
きれいな服も着てないし、だれにもほめられないのにさ。
ふつうに、そこに咲いてる」
「うーん……でもさ。
きれいだって、ぼくたちは思うよね?」
「そう。でも、それって後から見つけた“意味”でしょ。
花自身は、たぶんそんなこと考えてないよ」
「じゃあ、意味って、あとから人間がくっつけたもの?」
「うん。
でも、意味がなくても、きれいって思うことはある。
そういうのが……“純粋”っていうのかなって思った」
アスはそう言って、空を見上げた。
ちょっとだけ雲がひらいて、陽が顔を出した。
「純粋って……“役に立たない”ってこと?」
「役に立たなくても、そこにあるってこと。
それって、けっこう強いことだよね」
風が、石畳を吹き抜けていく。
たしかに、花はなにも言わず、ただ咲いていた。
人が意味をつける前に、
ただ、そのまま。
それを見て、心があたたかくなるのは、
きっとぼくたちの中に、
花とおなじものがあるからかもしれないと思った。
アスは病院へ向かい、
ぼくは花の影を見ながら、本堂をあとにした。
──意味の前にあるものを、
ぼくたちは、すこしだけ見た気がした。
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花は、ただ咲いている。
人が意味をつける前に、すでにそこにあったもの。
それを“きれい”と感じる心もまた、どこか純粋で、
誰かのためではない、静かなやさしさかもしれません。
「役に立たなくても、そこにある強さ」。
アスとタケルの静かな朝の時間に、
そんな哲学の芽が咲いていました。




