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第122話〜特別編『木漏れ日』

「切ない」という言葉は、日本語にしかない感情。 悲しみでも寂しさでもなく、それでも心がふるえてしまうような、そんな気持ち。

たとえば「木漏れ日」も、世界のどの言葉にも訳せない、日本語だけの美しい表現。


このお話は、そんな“言葉にならない感情”を、

タケルが、兄の背中からそっと受け取る、小さなひとときの物語です。


 


夏の終わりの午後。

セミの鳴き声が、どこか遠くから聴こえる。


ぼくの家の庭に、木漏れ日がゆれていた。

掃除に来ていた兄が、竹ぼうきを片手に、ひと休みしている。


目を閉じて、風を感じていた。

まるで風の中の、なにかの音を聴いているように。


しばらくして、ふと目を開けた兄は、空を見上げた。

ゆれる葉のすきまから光が差して、兄の顔に小さな影ができる。


そのとき兄は、なにかに気づいたように、すっと立ち上がった。


そして、しゃがみこんで手を伸ばし、

蜘蛛の巣にひっかかった小さな蝶を、やさしく逃がしてやった。


 


──その光景を、ぼくは台所の窓から見ていた。


「ちょっと、タケル! 今起きたの?たまには 庭の掃除くらい手伝いなさい!」

母に怒られて、ぼくは仕方なく外に出た。


けれどそのときにはもう、兄は何事もなかったように、またほうきを手にしていた。

 


午後、アイスを食べながら、家の中で三人。


父と母とぼくで、昼すぎのリビング。

ぼくは、ずっと心にあったことをぽつりとこぼした。


「ねぇ……なんで、兄ちゃんとぼくって兄弟なのに、全然ちがうの?」


「どうしたの、急に」

母が笑いながら言った。


「だって、ぼくはいつも怒られてるのに、兄ちゃんはダラダラしてるとこも見たことないし、怒られてるとこも見たことないもん。それに背も高いし」


「はぁ〜アイツは真面目すぎてつまら〜ん」

父がアイスをかじりながら笑った。


「タケルは完全に“家の子”! 龍賢はどう間違って生まれたのか」

父がガハハと笑って、母がじろっと父をにらむ。


「龍賢を少しは見習ってほしいわ、ほんとに」


「……たしかに。ぼく、お母さんとお父さんにそっくりだ」

ため息をついたぼくに、母が言った。


「でもね、タケルは龍賢とは“ちがう”から、いいんじゃない?」


「……え? ちがうから、いいの?」


「龍賢は、語らなすぎるのよ。でも、タケルはそのぶん、たくさん語ってくれるじゃない」


「……いいことが、よくわからない」


そう言って、ぼくはアイスを持って庭に出た。

頭の中に、さっきの兄の姿が、まだ残っていた。


木漏れ日の中で、蝶を助けた兄。

風に目を細めていた兄。

言葉もなく、静かに、誰にも気づかれずに、やさしく動く姿。



そのときだった。


「そこの花、変えたのタケルだろ? ありがと」

兄が、庭のはしっこの植え込みを見ながら言った。


「……え? う、うん。少し前に……」


ぼくはちょっと照れくさくて、アイスの棒を見つめた。


──兄ちゃんは、見てないようで、ちゃんと見てる。

  言わないだけで、ちゃんと伝えてる。


「えらくなりたい」とか「すごくなりたい」とはちょっとちがう、

なんていうか──


「なにかを言わなくても、ちゃんと伝えられる人」

兄ちゃんみたいになれたらいいなと思った。




目立たないけれど、心に残る風景があります。

語らないけれど、ちゃんと伝わる想いがあります。


兄・龍賢は、まるで「木漏れ日」のような人です。

その存在が、ことばを使わずに、タケルの心にあかりを差しこんでゆきます。


“ぼくも、こんなふうになれたらいいな”

その想いはきっと、タケルの中でゆっくり育っていくのだと思います。


日本人が昔から大切にしてきた、“見えないものを感じる”という心の風景。

それを静かに映すような兄の姿が、タケルの未来を照らす「ひかり」になりますように。



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