第117話『真実を語るということ』
アスとタケルの夜の布団は、ちいさな宇宙船みたいです。
話しながら眠りにつくその時間だけは、
だれにも邪魔されない特別な世界。
今回アスが口にしたのは、
ロシアの作家ドストエフスキーの言葉でした。
ほんとうのことを「全部そのまま言うこと」が、
必ずしもやさしさではない──
それは、子どもにとっても、
深く静かに届くメッセージです。
夜…。
お寺の畳の部屋に、パタンと布団を敷く音が続く。
「ねえタケル」
アスが小さな声で言った。
「『真実を語る者は、機知のない人間だけである』って言葉、知ってる?」
「知らない…難しいよ。誰の言葉?」
「ロシアの小説家ドストエフスキーの言葉。
『カラマーゾフの兄弟』っていう長い小説を書いた人」
アスはそう答え、しばらく黙っていた。
タケルも、黙って枕を置いた。
「ほんとうのことを、ぜんぶそのまま言う人って、
たぶん、やさしくないんだと思う」
「……うん」
「だれかの心を知ってるとき、
あえて見ないふりをしたり、
気づかないふりをしたりするのが、
ほんとの“ことば”かもしれないよね」
夏の終わりの虫の声が、しんしんと畳にしみていた。
ふたりはもう、布団にくるまりながら、天井を見上げていた。
「……アスってさ」
「ん?」
「ときどき、こわいくらい大人っぽいよね」
「キミよりはね」
「なにそれ」
ふたりの笑い声が、やがてしずかに溶けていく。
そのあと、ぽつりとタケルが言った。
「兄弟って言葉、なんかいいね」
夜が、そっと、ふたりの布団をくるんでいった。
「ほんとうのこと」とは、なんでしょう。
見たまま言うこと?
心の奥まで踏みこむこと?
あるいは、あえて言わないこと?
人はみんな、だれかを守りたいと思うとき、
言葉を選びます。
アスの静かなまなざしは、
そんな「ことばの前の気持ち」を見つめているのかもしれません。
タケルの最後のひとこと――
「兄弟って言葉、なんかいいね」
それは、アスの弟のことを、
タケルなりに思い出していたのかもしれません。
眠る前のしずかな夜が、
ふたりの心をつないでいきます。
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