第26話「忘れた記憶、忘れられた世界」
ぼくが わすれてたこと。
それは、ほんとうに なかったことなのか、
それとも、うちゅうが ぼくに 思い出してほしかったことなのか。
きづいたとき、やさしく 思い出せたら、
すこしだけ、ぼくは 変われる気がした。
その日、タケルは、学校の下駄箱の前で立ち止まっていた。
「なんか……落とし物をした気がするんだけど……。なに落としたか、思い出せないや」
「じゃあそれ、たぶん“記憶”だね」
背後から突然声がして、タケルはびっくりした。
「アス! いつのまに……」
「記憶ってさ、気づかないうちに落とすんだよ。ポケットに入れたまま洗濯して、消えちゃったみたいに」
タケルは首をかしげた。
「でも忘れたら、もうなくなったのと同じじゃない?」
「ほんとに? 宇宙が覚えてるかもよ」
アスはそう言って、いつものように、わけのわからないことを言い出す。
「宇宙が?」
「そう。仏教では、忘れても、なかったことにはならないって考えるよ。“カルマ”って言葉、聞いたことある?」
「うん。たしか“因果”……?」
「そう。行いの“結果”は、ちゃんとどこかにのこってる。自分で忘れてても、宇宙が見てたら、ちゃんと覚えてる」
そのまま二人は、昔よく遊んだ空き地まで歩いて行った。そこはもう草だらけで、何もない。
「……ここに、すべり台があったよね?」
タケルがつぶやく。
「ぼく、ここでひとりで泣いたことある。忘れてたけど、いま思い出した」
アスは草をかき分けながら言った。
「それを思い出したってことは、記憶はなくなってなかったってこと。
カルマもそう。たとえ見えなくても、ちゃんとそこにある」
「じゃあ、ぼくが昔ひどいことを言ったあの子のことも……?」
「忘れてても、その“ひどいこと”は、宇宙のどこかにのこってる。カルマはそういうもの」
タケルは小さくうなずいた。
「なんか、ちょっと怖いね……。ぼく、忘れてたのに」
「でもさ、カルマって、気づいたときに、やさしく書きなおせるんだよ」
アスは空を見上げた。
「忘れてたぶん、ちゃんと見つけて、観察して、書きなおせたら――それはもう、未来に向かう記憶になるんじゃない?」
タケルも同じように空を見上げた。夕暮れの雲が、少しだけ金色に染まっていた。
「忘れること」と「なかったこと」は、本当に同じでしょうか?
仏教では、すべての行いは宇宙の中に“痕跡”としてのこり、それが未来へつながっていくと考えます。それが「カルマ(業)」です。
私たちは忘れたことさえ、自分の心の奥に、宇宙のどこかに、ひっそりと持ち続けているのかもしれません。
そして、それをふと“思い出す”こと――それは、カルマがやさしく目を覚ました瞬間なのかもしれません。




