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第108話『とどく想い』

夜のドライブ、金木犀の香り、星のない海辺の帰り道。


タケルとアス、そして兄の三人が語るのは、「愛」という見えないものについて。


人はどこまで偶然で、どこまで決まっているのか。 心が動いた時、その意味はどこからくるのか。


ひとつの会話が、またひとつの思索の扉を開いていきます。


---


夜の海辺、レストランを出た四人は、ゆっくりと車に乗り込んだ。


静かに走る車内。窓の外には、月に照らされた波がきらめいている。


ほどなくして、骨董屋の前に着いた。


彼女がシートベルトを外しながら微笑む。


「今日はみんなと食事して、お話できて楽しかった。今度は、一緒に博物館に行こうね」


「うん!」とタケルが返事をし、アスもそっと頷いた。


「龍賢、また電話するね」


彼女はそう言って車を降り、古い木の扉の前に立つ。


その姿をタケルとアスはぼんやりと見つめていたが、兄はふいに小さく言った。


「……ちょっと待ってて」


そう言って車を出ると、彼女のあとを追いかけた。


骨董屋の外灯に照らされた二人の影が、並んで揺れる。


兄がそっと彼女の手を握った。


彼女は小首をかしげ、龍賢の目を覗き込むと、やさしく微笑み、耳もとで何かを囁く。


兄も微笑み返す。


彼女が店の扉を開けて中に入ると、ほどなくして二階の灯りが静かにともった。


兄はそれを見届けてから車に戻ってきた。


「……ごめん、行こうか」


そう言って車は再び、夜の道を走り出した。


車内には、彼女が残した金木犀の香りが、ほのかに漂っている。


タケルは胸のあたりをそっと押さえる。


なんだか少しだけ、切なかった。


 


しばらくして。


「ねぇ兄ちゃん、愛ってなに?」


とアスが尋ねた。


運転席の兄は、ちょっと驚いたように目を丸くして笑った。


「……愛はね、見えない喜びと、悲しみ。 昔から何千年も問われてきたテーマだけど、実際に説明するのは、すごく難しいかな」


タケルが、ぬいぐるみを抱いたまま、ふと聞いた。


「悲しいのも……愛なの?」


兄は小さく頷いた。


「うん。悲しみの中に、愛を感じる時もある。 “もう会えない”って思う時、心がぎゅっとなるのは、 きっと、その人を愛してたって証だから」


アスは窓の外を見ながら、ぽつりと続けた。


「……愛って、はじめから決まってるのかな?」


「え?」


兄が聞き返す。


アスは、ぽつんと呟くように言った。


「ボクが生まれた時から、お母さんっていう人がいた。 “愛されてる”って、理由はわからないけどわかった。 ……それって、最初から決まってたみたいに感じるんだ」


タケルが首をかしげながら言った。


「でもそれって当たり前じゃない? お母さんなんだから」


アスは静かに言葉を重ねた。


「でも……新しいクラスで、初めて会った子なのに“この子と仲良くなれる”って感じることがある。 雰囲気とか、話し方とか……なんか、“わかる”。 どうして“はじめから”そう感じるんだろう」


タケルはしばらく考えてから言った。


「確かに、あるかも……。 言葉じゃない何かで、わかることって」


兄はその言葉を聞いて、黙って運転を続けていた。


やがて、ふっと笑って言った。


「アスは、俺より深い視点で“愛”を観測してるんだね」


タケルは不思議そうに呟く

「…観測?」


「うん。“好き”とか“信じる”とか、見えないものを見ようとする力のこと」


それから、バックミラー越しに二人の顔を見て言った。


「二人とも、今日はありがとう。 ……なんか、勉強させてもらった」


アスは目を伏せて、静かに笑った。


その空気に包まれながら、車は夜の道を静かに進んでいく。


彼女の香りだけが、まだ車内にやさしく残っていた。



---


愛は見えない。 けれど、確かに“そこにある”。


この話の中でタケルたちは、 偶然と必然、感覚と理解、愛と悲しみのあいだにある微妙な境界を、少しだけ踏み越えていきます。


観測者であるアスの静かな問いかけ。 そして、その声にきちんと耳を傾ける兄の姿。


こうして紡がれる言葉のなかに、 「想いが届く」ということの本当の意味が、静かに浮かび上がってきます。


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