第101話『うまれた日と、さよならの日〜前編』
七月に生まれて、七月に亡くなったミュシャ。
彼女のひとことから、“はじまり”と“おわり”の意味を考えた。
夏の日差しのなか、石畳を歩く足音がかすかに響く。
翡翠の耳飾りが、陽を受けてそっと揺れた。
「ねえ、タケルくんは、生まれた日と、亡くなった日、どっちが大事だと思う?」
振り返ったタケルは少し考え、「うまれた日」と即答した。
「うん、そうだよね」
彼女はそれだけ言って、黙った。
風が髪を揺らし、耳飾りが陽に光る。
アスが首を傾けた。
「ミュシャは七月に生まれて、七月に亡くなったんだって。
“同じ月に生まれて、同じ月に帰った”って、ちょっとふしぎじゃない?」
タケルは「帰った?」と聞き返す。
アスは小さく笑って、絵画集のページを開いた。
そこには『スラヴ叙事詩』のひとつがあった。
ページをのぞき込んだタケルは、しばらく無言で眺めていた。
「なんか……絵なのに、叫んでるみたいな感じがする」
「そうだね。声じゃなくて、まなざしがある。
ミュシャが描いたのは、“こと”じゃなくて、“もの”――
起きた出来事じゃなくて、“そこに在る”ってこと、かもしれない」
横で彼女が目を閉じた。
頬をなでる風がやわらかい。
タケルは少しだけ照れくさそうに言った。
「……いのちって、どっちかだけじゃないのかもね。
生まれた日と、さよならの日、両方そろって、やっと、ちゃんと生きたってことかも」
誰も答えなかった。
ただ、翡翠の耳飾りが、やさしく揺れ続けていた。
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ミュシャが描いた『スラヴ叙事詩』には、声にならない祈りがある。
前回の事ではなく物を描くを作中描きました。
「事」ではなく「物」を描くというそのまなざしが、生きた証を静かに照らしている。




