特別編〜お盆『エン…前編』
夏の光は、日ごとにやわらぎ、
風はどこか遠くの記憶を運んでくる。
人の声も虫の声も、少しだけ低く響くこの季節。
「帰ってくる」という言葉が、目に見えない橋をかける。
タケルにとって、それは毎年やってくる、静かな奇跡だった。
誰にでも、会いたい人がいる。
誰にでも、忘れられない人がいる。
夏の夕暮れ。西日が墓石をやわらかく照らし、赤茶けた影が長くのびている。
タケルは庭の花を入れ替えていた。小さな桶に水をくみ、切り花を差し替える。その水面に映る空は、どこか懐かしい色をしている。
ふと視線を上げると、墓地の端に作務衣姿の青年が立っていた。
生ぬるい風が吹く、どこかのお坊さんのようにも見える。
その青年は、タケルに気づくと、やわらかな笑みを浮かべた。
「ここの子?」
「はい。えと…お兄さんはお墓参りですか?」
「うん。この時期に毎年来てるんだけど、ここの人に会ったのは初めて」
「ああ……お盆は忙しいので、ほとんど僕しかお寺にいません」
青年は目元を細めた。その笑顔は、初対面なのに、どこかで会ったことがあるような、懐かしさを帯びていた。
「君のお母さんって、もしかして……あさひさん?」
「はい。そうですけど……お兄さん、母の知り合いですか?」
視線を外す事なく、少し遠くを見るように微笑む。
「ん。そっか……よく似てるね」
そして、ふと声を落とす。
「じゃあ、お父さんは……しゅうえん?」
「父のことも知ってるんですか?」
「うん……」と、ほとんど息のような声が返ってきた。
青年は、両親の知り合いにしては若く見えた。兄と変わらないくらいか。あ……兄ちゃんに似ているからあった事があるような感じだったのかもしれない。
「お兄さん、うちの兄ちゃんに凄く似てます。雰囲気?……切れ長の目元とか…声もスタイルも…」
「お兄さんもいるの?」
「はい。お兄さんと同じくらいの年の兄がいます」
青年は一瞬、目を伏せ、やがて空を見上げた。目を閉じ、夏の夕風を胸いっぱいに吸い込む。その横顔には、なにかを確かめるような静けさがあった。その姿もやっぱり兄ちゃんに似ていた。
しばらくして、タケルをまっすぐ見つめる。その瞳は深く、迷いがなかった。
「もう行かないといけない。これを君のお母さんに渡してくれる? しゅうえんには、もう来なくていいよって伝えて」
差し出されたのは、小さなうさぎのキーホルダー。
手に取ると、長く誰かに握られていたような温もりが残っていた。
「またね」
青年はそう言い、ゆっくり背を向けて墓地の奥へと歩いて行った。
石畳を踏む足音が、やがて蝉時雨に溶けて消えた。
──お盆のあいだ、両親は忙しく、顔を合わせることもほとんどない。
けれど、なぜかこのキーホルダーは早く渡さなければならない気がした。
---
目には見えないはずのものが、
風のゆらぎや、線香の煙に輪郭を宿す夜がある。
それは恐れではなく、やさしさに包まれた気配。
タケルは、その気配を受け止めるために、
今年もまた縁側に座って、風の音を聞いていた。




