第5話「死とはなに?」
死んだら、どこへ行くの?
そんなことを考えたことはありますか。
誰もが知ってるはずなのに、誰にもちゃんとはわからないこと。
このお話は、ひとりの男の子が「死って、なんだろう?」と向き合う、不思議な一日です。
こわくて、ちょっと切なくて──
朝の教室に入ったタケルは、いつもと少しだけ空気がちがうのを感じた。
「……あれ?」
いつもの席に、知らない子が座っていた。
けれど、先生もクラスメイトも、その子にふれようとしない。
誰も、見ていないみたいだった。
タケルがアスに聞くと、アスはいつもの調子で言った。
「見える? じゃあ、タケルはラッキーだね」
「え、なにが?」
「その子、たぶんまだ“自分が死んだ”って気づいてないんだよ」
「…………は?」
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給食の時間、その子の牛乳だけが、いつまでたっても減らなかった。
掃除の時間、その子だけ、ホウキを持ったまま立ちつくしていた。
帰り道、アスが言った。
「“死ぬ”ってのは、どこかに“行く”ことじゃないんだよ。
“ここ”から、だんだん“ぬけて”いくことなの」
「ぬけていく……?」
「人の記憶とか、時間の中から、すこしずつ」
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放課後の図書室。
タケルは、その子とふたりで並んで本を読んでいた。
「名前……なんていうの?」
その子は小さな声で言った。
「……ぼく、前にここにいた気がする。忘れられたら、いなくなる気がして……」
言いかけて、ふっと消えた。
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夕暮れの校舎裏。
タケルの《うちゅうかんさつノート》が、風にめくられた。
そこには、見覚えのない、にじむような字でこう書かれていた。
たける
たける
ぼく
きみになれたら
よかったのに
タケルは思わずノートを抱きしめた。
──あの子は、だれだったんだろう。
もしかしたら、自分のもう一つの姿だったのかもしれない。
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その夜、タケルの《うちゅうかんさつノート》にはこう書かれていた。
> 《うちゅうかんさつノート5》
「死ぬって、“どこへ行くか”より、“誰のなかに残るか”なのかもしれない」
ページのはしに、アスの小さな字が重なっていた。
「“死”ってのは、“いなくなる”ことじゃなく、“ちがう形で、生きつづける”ことなんだよ」
このお話は、「死んだらどこへ行くの?」という第3話と、「ぼくって、だれ?」という第4話のテーマから続いています。
死というものを、「こわい終わり」ではなく
「まだ見えないつながり」として描くことができたら──
そんな思いから生まれました。
記憶、名前、忘れること、残ること。
タケルとアスの目をとおして、読んでくれた人の中に何かやさしい問いが生まれたらうれしいです。