第21話「ものがたりの ない せかい」
言葉を知らないとき、世界はどう見えるのでしょう。
名前がついていない石ころ、意味のない風、
物語をつけられていない、ただの「ある」ものたち。
人間は意味をつけ、名前をつけ、ストーリーをつけることで、世界を理解しようとします。
でもその前に、ほんとうの世界があったのかもしれません。
夏の暑さが残る秋の日
ぼくとアスは、ひとけのない丘の上にいた。夕方の光が、草むらの先を金色に照らしている。
しゃべらずに、ぼーっと風の音を聞いていた。
「この丘に立ってるとさ」アスが言った。
「ぼくがいなくても、風って吹いてるんだなって思うよ」
ぼくは小さくうなずいた。
「うん。ぼくらが何も考えてなくても、世界は勝手に動いてるみたい」
虫の声、葉っぱのこすれる音、雲の流れ。
それは、ぼくらが見ても見なくても、関係なくつづいていた。
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「ねえタケル」アスがぽつんと聞いてきた。
「意味のない世界って、こわいと思う?」
「意味のない世界?」
「うん。たとえば、石ころに名前がなかったら。
それが何のためにあるか、誰も知らなかったら。
ただ“ある”だけだったら、ってこと」
ぼくは少し考えてから、
「……さびしいかも」って言った。
「だよね。でもたぶん、それがほんとうなんだよ」
アスは、ポケットから小さな石を取り出した。
「これ、名前も意味もない。ただ拾っただけ。
でも、なんとなく安心するんだ。不思議だよね」
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ぼくは、弟のことを思い出した。
まだ小さい弟は、言葉の意味じゃなくて、文字の“かたち”ばかりじっと見ていた。
「あ」と「お」の違いも、音じゃなくて形で覚えていた。
あるとき、意味も話も通じなかったけど、
弟は笑って、なぞるように「ふ」の字を指でなぞっていた。
それは、物語じゃない世界。
意味も名前もない、でもたしかに“ある”世界。
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「たとえばさ」アスが言った。
「人間がいなくなっても、宇宙はまだ“在る”んじゃないかな」
「……それって、なんかすごく静かで、こわいけど、うつくしい気がする」
アスは笑った。
「うん。静かってさ、ほんとうはこわくて、うつくしいんだよ。
だって、そこには誰の物語もないからね」
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うちゅうかんさつノートより
ぼくらがしゃべらなくても、考えなくても、
せかいはしずかに動いてる。
ものがたりのない せかい。
そこには なまえも きおくも ないけれど、
たしかに「ある」。
それは ぼくたちが いなくなった あとの
せかいかもしれない。
タケルの弟が見ているかもしれない世界。
それは、人間の言葉や物語の外にある、ただ“かたち”を感じる世界です。
そこには意味も、悲しみも、希望もありません。
でも、意味がないことは「空っぽ」ではなく、
もしかしたら「満ちている」ことなのかもしれません。




