第20話「にんげんが せかいを つくった?」
たとえば犬が「人間を飼ってる」と思っていたら?
たとえば木が「じぶんこそが地球の主役」と信じていたら?
ぼくら人間が世界のことを考えるとき、
いつも真ん中にいるのは“じぶんたち”。
でも、ほんとうは世界のほうが、
ぼくらを見ているのかもしれないね。
「タケル、ペットってさ、どこからどこまでが“かわいい”の?」
アスが空を見ながら言った。
「え? どういうこと?」
「たとえば猫はかわいがる。でも蚊はたたく。牛は食べるけど、犬は飼う。どうして線引きがあるんだろう?」
「……うーん、そう言われると、なんでだろうね」
「人間は、“人間にとって”の世界しか見ないからかな」
ぼくらは公園のベンチにいた。風がふいて、木の葉がひらひら落ちた。
「この木も、虫も、動物たちも、名前をつけられて、“意味”をつけられて、人間のものになってる気がしない?」
アスの声は、いつもよりすこし静かだった。
「でも、それが“文明”ってことなんじゃないの?」
「うん、でもさ……」
アスは足元のアリを見ながらつぶやいた。
「もしかしたら、このアリの世界では、“人間”ってただの“でっかい動くもの”なのかも」
「……アリにとっては、ぼくらなんか意味もないかもしれないね」
「そう。“意味”って、だれが決めてるんだろう。
世界はそこにあるのに、人間だけが“物語”をつくってる気がする」
「ぼくらの都合で?」
「そう。“せかい”っていうのは、ほんとは“ひとりひとり”が勝手に作ってる、いくつもある“ものがたり”のことかもしれない」
夕焼けがはじまっていた。オレンジの空を、鳥が一羽すべっていった。
「じゃあ、“ほんとうのせかい”って、あるのかな?」
ぼくが聞いた。
アスはちょっとだけ笑って、
「あるよ。でもたぶん、ぼくらには見えないんだ」
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うちゅうかんさつノート
ぼくらは、人間だから、人間の言葉でせかいをつくる。
すべてに名前をつけて、意味をつけて、ものがたりにする。
だけど、本当は、名前のないせかいが、そこにあって、
人間のいないところでも、ちゃんと生きている。
世界のまんなかに、人間をおいているのは、
たぶん、ぼくらの「こわさ」なのかもしれない。
わたしたちは「この世界はこうなっている」と思って生きています。
でもそれは、たまたま人間がそう見て、そう言葉にして、
そう信じた“人間だけのストーリー”かもしれません。
他の生きものたちは、自分の物語を語れません。
だから「ないこと」になってしまう。
でも、ほんとうはきっと、彼らの世界も、
人間の知らないやり方で、ちゃんと生きている。
「人間中心」という小さな物語の外に、
ほんとうの“せかい”があるかもしれない、そう思いながら。




