第19話「なまえのないせかい」
言葉にできない、ということは、なにかが足りないのではなく、
そこにあふれているものが大きすぎるのかもしれません。
このお話は、“意味”よりも“かたち”を見つめる、そんなまなざしから始まります
「この字、むずかしいなぁ……」
タケルは漢字ドリルをにらんだ。「龍」とか「響」とか、小学生には手強い言葉たちだ。
「アス、これなんの意味だっけ?」
「意味なんて、あとづけさ。形の方がおもしろいだろ」
そこへ、特別支援学級のユウマくんが教室に入ってきた。彼は、言葉よりも形を見て生きている。いつもノートには、ぐるぐるや点々、不思議な模様が並んでいる。
「ユウマくん、それ、なに描いてるの?」
ユウマは、タケルの見せた漢字をじっと見てから、笑った。
「かっこいいね。このかたち。」
「意味は、わかる?」
ユウマは首をかしげると、そっと言った。
「わかんない。でも、きれい。」
アスはその言葉に目を細めた。
「言葉が意味を持たないってことはさ、そこに“物語”が生まれてないってことだろ。
つまり、“自由”なんだよ。物語の外にいるってことさ。」
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その夜、タケルは夢を見た。言葉も名前も意味もない、ただ風が鳴り、光がふるえる世界。
どこかで、ユウマの声がした。
「ここは、ひろいね」
「ユウマ……ここ、どこ?」
「なまえのないせかい」
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朝、目が覚めたとき、タケルはまだその夢の匂いが残っている気がした。
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うちゅうかんさつノート
> なまえがあると、ぼくたちはわかる。でも、なまえがないと、なにかを感じる。 それは、わかるより、ふかいかもしれない。 ぼくは、わからなくても、ユウマくんのせかいがすきだ。
私たちは、言葉で世界をとらえ、意味をつけて安心します。
でも、意味がないからこそ、ほんとうの「感じる」が始まることもあるのです。
名づけられない世界は、こわい。でも、すこしだけ自由で、やさしい。
そんな世界の入口を、ユウマくんは静かに教えてくれました。




