第024話『つきのひかり』
音楽がふってくるように感じることがある。
それは、だれかの思いつきではなく、
世界のどこかにもともと流れていたものかもしれない。
夜のお寺は、音がやけに遠く感じられた。
アスがタケルの家に泊まりに来た日
二人はなかなか眠れずコソコソ話をしていると、ふいに、うすいピアノの音が聞こえてきた。
音は、風のように静かだった。
とても有名な、でも、だれが初めてそれを聴いたのかは思い出せないような音楽。
どこかで聴いたことのある、月のような旋律。
「……これ、ドビュッシー?」
アスがつぶやいた。
ふすまをそっと開けてのぞくと、
本堂の隅に置かれたアップライトピアノに、タケルの兄が座っていた。
一言も発さず、ただ、《月の光》を弾いている。
タケルもアスも、言葉を発さなかった。
音がすべてを照らしていた。
演奏が終わると、兄はふとこちらに気づき、
「ああ、ごめん。眠れなくてピアノ弾いてた。もしかして起こしちゃった?」と笑った。
「……ううん。きれいだった」
タケルは、そう言ってふたたび外に出た。
本堂を出たあとも、耳の奥には音が残っていた。
「ねえ、タケル」
アスがぽつりと言った。
「もしタイムマシンがあったら、未来から《月の光》の楽譜だけ持ってって、
ドビュッシーに見せるってできるよね」
「え?」
タケルは、音の余韻のなかで答えた。
「……うん、たぶん」
「その時、彼がそれを弾いて、“ぼくが作りました”って言って発表したらさ……
作ったのは誰?」
タケルは、しばらく考えた。
「……兄ちゃんがさっき弾いたけど、作ったのは兄ちゃんじゃないし……」
「でも、その瞬間に“音を出した”のは兄ちゃんだよね」
「うん。でももしその楽譜が、未来から来たものだったら?
もとの作者がいなかったとしたら?」
「え、それって……“誰も作ってない”ってこと?」
アスは笑って首をかしげた。
「ぼくね……《月の光》って曲、
ほんとうは誰かが“作った”んじゃない気がするんだ」
「え?」
「もともと世界のどこかに流れてたメロディなんじゃないかって。
それを、たまたま受け取れた人がいた。
それがたまたま、ドビュッシーだったってだけかもしれない」
タケルは、夜空を見上げた。
月はまだ雲の向こうにあった。
でも、たしかに光っていた。
「……じゃあ、《月の光》は誰のものでもない?」
「うん。
でも、誰のものでもないからこそ、みんなに届く。
あれは、きっと“世界からの手紙”。」
タケルは、ふっと思った。
——あの音楽は、作られたんじゃなくて、
ひとと世界のあいだに“あらわれた”のかもしれない。
そして、誰かがそれを受けとり、また誰かへと渡していく。
兄のように。ドビュッシーのように。
あるいは、未来の“ぼく”のように。
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音楽とは何か。
それは、だれかが“作ったもの”なのか。
それとも世界のなかにもともと流れていて、
たまたま受け取られたものなのか。
《月の光》という静かな旋律は、
そんな問いにそっと光をあててくれます。
そしてきっと、タケルとアスの心にも、
それぞれの“光”がそっと宿ったのでしょう。




