第022話『とまらないばしょ』
ある空間に、ある気配が残っているとき。
そこは「とまれない場所」になる。
今回は、時間が重なった部屋と、その手前で立ち止まる子どもの物語。
日曜日、タケルはアスといっしょに、アスの祖父の家へ向かった。
「ばあちゃんがいなくなってから、ひさしぶりだな」
アスはそう言って、弟の手をひいていた。
古い家だった。
畳のにおいと、線香のような香りがまざっている。
玄関を入ってすぐの廊下で、弟は立ち止まった。
そのまま、一歩も動かない。
「また、か……」
アスがつぶやいた。
弟は、まっすぐ前を見つめていた。
その先には、リビングがある。
かつて、祖母がいつも座っていた部屋。
タケルがそっとのぞくと、静かな空気のなかに、
誰も座っていない座布団が置かれていた。
弟は、一歩も動かず、天井を見上げた。
そして、目をぎゅっと閉じて、苦しそうに顔をゆがめた。
タケルは、声をかけようとしてやめた。
アスが静かに言った。
「入れないんじゃなくて……感じちゃうんだよ。
ここが“ちがう”って。ばあちゃんがいないのに、ばあちゃんのにおいがある。
声はしないのに、座ってたかたちだけ、そこにある」
弟が、手をそっと上げた。
まるで、空気のなかの何かを、さわるように。
ゆっくり手のひらをなでて、目を開けた。
そのとき、風がすこし吹いた。
リビングの窓のカーテンが、ゆっくりと揺れた。
そして、誰も座っていない座布団の縁が、ふわりと浮いて、戻った。
アスがぽつりと言った。
「この部屋、もう“とまれない場所”になっちゃったんだね」
タケルは黙ってうなずいた。
泊まらなかったのは、弟じゃない。
時間の方だったのかもしれない。
誰かがいた場所は、その人がいなくなっても、まだ何かを抱えている。
でも、そこに泊まることはできない。
だから弟は、その手前で、立ち止まる。
まるで、旅の途中にある宿を、そっと見送るみたいに。
その後ろ姿を見て、タケルは思った。
——あの子は、今もそこにいる“誰か”と、
出会ってしまっているのかもしれない。
---
空間には、言葉にできない重さや、かすかな光が宿ることがあります。
とまれなくなった場所には、とまれないままの記憶が、
そっと残っているのかもしれません。
それを受けとってしまう誰かがいること。
それもまた、「旅する世界のかたち」なのだと思います。




