第020話『そらをぬすむ』
レオナルド・ダ・ヴィンチは、まだ誰も空を飛べなかった時代に、
空を飛ぶための設計図を描いた。
それは、大人になった子どもが見た、世界の“まだ名前のない形”。
今回は、風と空と、もうひとつの観測ノートのお話。
「これ、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計図」
アスが差し出したノートには、羽のついた奇妙な機械のスケッチが描かれていた。
紙はすこし古びていて、インクの線は、まるで風をなぞっているようだった。
「飛行機、まだない時代だよ」
アスが言った。
「飛んだの?」
「飛べなかった。でもね、空を“どう飛べるか”って、本気で考えてたんだ。
風のまわりかたとか、鳥の羽のかたちとか、ずっと観察してさ。
それを、絵にしてた。大人の子どもみたいに」
「大人の……子ども?」
「うん。
“飛びたい”って気持ちだけで、まだ誰も飛んでない空を想像する。
それって、なんだか、うちの弟と似てるなって思って」
そのあと、アスといっしょに、公園に向かった。
保育園の帰りに、長い滑り台のある場所で、アスの母親と弟が遊んでいるらしい。
弟は、すでに何度もすべっていた。
すべるたびに、両手を大きく広げ、
風をつかまえるように目を閉じる。
「いち、しろ、に、きいろ、さん、あか……」
階段をのぼりながら、弟は数をかぞえ、色を呟いていた。
それはまるで、風のなかにある地図を読み上げているみたいだった。
「なにしてるの?」とぼくが聞くと、アスが答えた。
「風と話してるんだと思う。
階段をのぼるときも、すべるときも、弟は風の順番を覚えてる。
さっきの設計図みたいにね」
もう一度、弟がすべり台をすべった。
そのとき、少しだけ宙にうかんだように見えた。
すーっと風がふいて、金木犀のにおいがした。
そして、地面に着地する瞬間、
弟が目をあけて、小さな声で言った。
「とーり」
タケルとアスは、その声に、なぜか言葉を返せなかった。
——風をぬけたあとの音だった。
——空のどこかを通ってきた誰かの、目印みたいだった。
タケルはふいに空を見上げた。
——あのとき、レオナルドも、
——この風を感じてたんじゃないかと思った。
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空を飛ぶ設計図には、風と話す人のまなざしがあった。
弟が風のなかで呟いた「とーり」という声は、
空を信じたレオナルドと、
世界のかたちを肌で感じる子どもたちの、
静かな答えだったのかもしれません。




