第017話『キンモクセイのひみつ』
彼女の香りは、季節と一緒にやってくる。
キンモクセイの花が咲くころ、ぼくの兄のまわりには、少しだけ光がにじむ。
これは、そんな静かな“返事”の物語。
兄の恋人は、いつも光が当たってるみたいな人。
朝の境内で会えば、風に揺れる黒髪のすきまから、金色の光がちらちらと見えた。
声はやさしくて、弱くて、透明で、キンモクセイの香りがした。
「龍賢くん」
そう呼ばれた兄が、ふいに年下みたいに見えて、ぼくはちょっと不思議な気持ちになった。
彼女が来ると、タケルは黙って立ち止まることがあった。
キンモクセイの木の下で、空を見上げながら、何かを目で追うよう彼女の姿…。凄く綺麗だった。
その様子を見て、アスが言った。
「あの人、いつも光が当たってるかんじの人だね」
アスはくすっと笑って、
「きみも兄ちゃんも、タイプが似てる。遺伝子がそうさせてるのかも」
と言ったあと、少しだけ黙って、それから急にこんな話をした。
「……たんぽぽ娘って、知ってる?」
「え?」
「ロバート・F・ヤングって人の短編。未来から来た女の子が、過去に恋をする話。ぜんぶは言わないけど、読んだとき、なんか……光の匂いがするような気がした」
「光の匂い?」
「うん。記憶の中の匂いっていうか……その人の姿がなくなっても、世界に残る香り。キンモクセイって、そういう匂いかもって思った」
ぼくは、そっとその匂いを吸い込んだ。
その日の夕方、キンモクセイの下を歩いたときだった。
風が吹いた。
そのとき香ったキンモクセイの匂いが、いつもより甘くて、やさしかった。
——それが、彼女の返事のような気がした。
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言葉にならない返事もある。
誰かの姿や、残された香りが、気持ちの続きをそっと届けてくれることがある。
タケルとアスが見つめたのは、目に見えないやりとりの、その一瞬だったのかもしれません。




