第4話「ぼくって、だれ?」
「自分って、いったい何なんだろう」
これは、誰もが一度は感じる問いかもしれません。
名前? 顔? 記憶?――それとも、誰かと過ごした時間?
この物語では、タケルとアスが「自分という存在の輪郭」をさぐっていきます。
それは哲学であり、SFでもあり、でも何より、「心」のお話です。
読んでくださる皆さん自身の「ぼく」や「わたし」にも、そっと耳をすませてもらえたらと思います。
教室の窓に、白くにじむ光がさしていた。
タケルは、ノートのすみっこに小さく自分の名前を書いていた。
「タケル……タケル……」
字がなんだか、自分じゃないみたいに見えた。
(ぼくって、ほんとに“タケル”なのかな)
ふいにそんな考えが浮かぶ。
アスが、黒板の前で先生に何か話しかけていた。
「あれ……アスって、いつからこのクラスにいたんだっけ?」
隣の席なのに、昨日のことが思い出せない。
放課後。
タケルは、アスとふたり、商店街の裏にある廃屋の前にいた。
「ここ……前に来たことある気がする」
「記憶って、面白いよね」とアスは言った。「思い出せないことの中に、ほんとうの“自分”が隠れてたりする」
扉が、風もないのにギイ……と開いた。
中は、誰もいないはずなのに、靴音が反響する。
壁には、たくさんの子どもの写真が貼られていた。どれも笑ってる。でもそのうちの何枚かは、顔だけがふわっとぼやけていた。
タケルは、ある写真の前で立ち止まる。
「これ……ぼく?」
写真の子は、自分とそっくりだった。でも、名前の札には「カイ」と書かれていた。
「ねえ、アス。ぼく……カイって名前だったこと、ある?」
アスは、少しだけ笑って言った。
「名前は、あとから決まるものだよ。本当の“ぼく”は、名前とは別の場所にいる」
「別の……場所?」
そのとき、床がぐらりと揺れた。空間がゆっくりと歪み、壁の写真が一枚、また一枚と白紙になっていく。
タケルは胸をおさえた。心臓の音が、自分のものじゃないみたいだった。
「アス……こわい」
「タケル、自分のこと、見失いそう?」
タケルは、うなずいた。
アスは、そっと手を伸ばした。
「だいじょうぶ。“ぼく”っていうのは、“思い出”じゃなくて、“今ここにいること”なんだよ」
タケルは、涙がにじむのを感じた。
そのとき、写真の中の「カイ」がふっと笑った気がした。
そして廃屋の扉が、ゆっくり閉まりかけたとき──タケルは気づいた。
(この建物、前にひとりで入ったことがある。……でも、出てこなかった)
兄が迎えに来た。車の中、タケルは何も話さず、ただ夕焼けを見つめていた。
アスが、静かに言った。
「タケル。もしも、自分が誰か分からなくなったら……“誰かと一緒にいた記憶”をたどってみるといいよ」
「……誰かと?」
「うん。名前は消えても、心はちゃんと残るから」
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その夜、タケルのノートにはこう書かれていた。
> 《うちゅうかんさつノート4》
「ぼくは、名前じゃなくて、“誰かと過ごした時間”でできている」
ページのすみに、アスの字がそっと重なっていた。
> 「“ぼくって、だれ?”って考えるとき、人はほんとの意味で、生まれるんだ」
このお話を書きながら、ふと思いました。 「名前」や「記憶」が消えてしまっても、人はほんとうに“いなくなる”のだろうか?
もしも誰かと過ごした記憶が、誰かの中に残っているのなら――そこに、“ぼく”はちゃんと生きているんじゃないだろうか。
アスの言葉はいつも遠くて近い、宇宙みたいです。
読んでくれたあなたのなかにも、誰かと過ごした時間のぬくもりが、ちゃんと残っていますように。