1、いなくても変わらない
学園から家に帰ると、何故だかそのまま応接室に通された。
少し帰りが遅くなったことを言及されそうになったが、別にいつもこんなものである。そもそも家から徒歩で学園に通っている俺の帰宅時間が毎日同じであるはずもなく、何を今更なことを言ってるんだこいつと心底不思議な眼差しを家令に向けてしまった。
もう少し深掘りすると、要するにこの男は俺が日頃帰ってくる時間を把握していないのだ。
まあ別に、わざわざ帰ってきたと誰に報告することのない俺にも僅かばかりの責任が存在しないとは言えないが、それにしたって、俺が学園から一切の寄り道なく毎日同じ時間に帰ってきてるなんて勘違いは、仮にこいつが優秀だった場合には発生し得ないものであり、悲しいことにその負の優秀さは我が家と釣り合いが取れてしまっているのも確か。
だからと言うのかなんと言うのか、そういう風に内心で見下している我がユルツール家の当主であり俺の父親である男に、応接室に入った途端睨まれたとて、特に感じるものは無かった。怯えるとか竦むとか、そういうのも無く、ただ部屋の中を見渡す。
未だ睨んでくる父親の向かいには、見るからに高貴な女性が凛と座っていた。
その後ろには大層腕が立つのだろうと一見しただけでわかる騎士が二人、父親のようにあからさまではないが、おそらく俺を睨んでいるのだろう敵意を感じる。
特に右。
よくも待たせやがって、みたいな意思表示なのかもしれないが、そもそも俺は来客の予定など知らないし急いで帰ってこいとも言われてない。
迎えくらい寄越せ、とまでは言わないが、全責任を被せられていい気分はしない。
「遅いぞ、何をしていた」
「特に何も。いつも通り帰ってきただけ、ですよ。……どちら様でしょうか、俺に何か御用で?」
女性に視線を向けそう言うと、騎士から突き刺さる視線はより強くなった。
なるほど、おそらくはうちよりも圧倒的に高位の家柄。下手をすれば王族に近いのかもしれないとすら思う気位の高さ。
一応弁解しておくが、別にわざと露悪的に振舞っているとかそういうことは一切ない。俺はいつでも誰にでもこんなもんだ。
そもそも、まだ何の説明も紹介もされていないのに下手に遜るのはある意味悪手。普段通り、それでいて何も知らないことを振る舞いだけで相手に伝えなければならない。
この父親なら、事前に伝えておいたとかそういう嘘平気で吐きそうだしな。とは言え、一歩――一言間違えれば切り捨てられそうな状況は御免なので、出来るだけ早くの説明を求む。
「――アズラン殿、息子殿に私の来訪を伝えていなかったのか? 一週間前には手紙が届いていたはずだが」
「……生活が噛み合わず、顔を合わせる機会が少ないもので。家令には伝えておくよう言っておいたのですが。申し訳ありません」
誰が聞いたって嘘だとわかる言い訳を平然と並べる肝の太さには感心するが、それが言い訳になると思っている辺りが何とも情けない。顔を押さえて耳を塞いで蹲りたくなるくらい恥ずかしい。
いきなり責任の半分を押し付けられた家令は哀れだが、愚かさの代償ということで我慢してもらう他ない。
少しだけ騎士からの視線が和らいだ気がしたが、完全には消えない。
この父親と同格の愚か者だと思われているのかもしれないと考えるとなかなか憂鬱になるが、実態以上に高い評価をされるのはそれ以上に憂慮すべき事態だ。
父親を『殿』付けで呼ぶ辺り、やはり王族か。歳は自分と同程度。つまり王女。顔を見たことは無いが、今の王家に王女は二人いたはずで、口調から考えるに、勇猛と名高い第二王女。俺の一学年上の先輩でもあったはずだ。
縁も所縁も無い他人。
決して交わらないねじれの立場。
俺を訪ねてくる心当たりなど――ある。
あるからこそ厄介なのだ。この父親の前で話したいことではないし、話されたいことでもない。
「……まあいい。とりあえず座りたまえフウレイ殿、私は君に会いに来たのだ」
「……では、失礼します」
肩にかけていた鞄を床に置きながら、推定王女の正面に腰を下ろす。
父親の隣に座るというのは、ひょっとしたら人生初かもしれない。別に嬉しいもんじゃないな。
本来なら通学鞄をここに持ち込むべきではなかったのだろうが、自分の目の届かないところに置いてきたくなかったし、誰かに渡すなんか以ての外だった。
それは、たとえ騎士に視線で射殺されようが揺るがない。
ソファの中心に座っていた父親は、俺のスペースを空けるために不本意そうに少し横に避けたが、そういう感情を隠せない段階でどうしたって駄目だなと思わされる。別に馬鹿ではないんだろうが、人間的に器が小さいと言うのかなんと言うのか。
受け皿が小さい、と言うのがしっくりくる表現かもしれない。
「初めまして、だな。私はエンネ・ムーンラート。第二王女と名乗った方が通りがいいだろうか」
「……初めまして、フウレイ・ユルツールです」
やっぱり王女様か。本来なら、お目に掛かれて光栄です、くらい言うべきだったのかもしれないが、別に何も光栄なことが無いのでそこまで言う気になれなかった。
右だけじゃなく左の騎士からも強めの視線を感じるようになってしまったが、用件が用件なだけに感情を露わにすることは無いだろう。そこまで沸点の低い人間が王族の護衛騎士なんかになれるわけがないという希望的観測に基づいた怠慢。
無礼者、と言われて一刀両断にされたら、俺が限度を見誤ったということなのだろう。
まあどうも、厳しい目線と言うならば、隣の父親の方が向けられているはずなのだけれど、そのことに気付いている様子はない。鈍感な人間で羨ましい限りである。
にしても。
「――――……」
「…………。……アズラン殿、ここからの話は私が引き継ぐ。貴方は退出を願いたい」
「何? 何故です、私がここにいても話す内容は変わらないでしょう」
「そうだな、変わらない。いなくても変わらない。どうする、命令の方がいいか?」
第二王女が父親など比ではない睨みを利かせると、何故か俺を睨みながらすごすごと部屋から出て行った。どうせ従うんだから最初から頷いておけばいいのに。
まあ、余計なことを言われると困るのだろうが、その『余計なこと』を王族が一切把握していないと楽観視している辺りがまた救えない。用件が何であれ、俺を名指しでわざわざ会いに来たのだ。俺の現状を調べていないわけが無いとは考えないのか。
ぱたんと扉が閉まり、室内には俺たち四人だけ。
騎士が動かないところを見るに、扉の外で聞き耳を立てているということもないのだろうし、この室内が盗聴されていることもない、はずだ。王族の護衛騎士がどこまで優秀なのかなんて俺は知らない。
俺は。
「はあ――……、何の用ですか?」
思い切り眉間に皺をよせ、迷惑という感情も隠そうとせず、目の前の第二王女にじっとりとした視線を向けた。




