第二話 褒める
――ここは魔界。召喚獣たちの住む世界である。
ヘルデビルがヒザを抱え、口が半開きのまま漆黒の空をぼーっと眺めている。
「ハァ……」
ため息をつきながら、空にあの召喚士の姿を思い浮かべる。
「フゥ……」
「だんなー」
いつものように、スライムがのそのそと近寄ってくる。
「……」
気づいているのかいないのか、ヘルデビルはぼーっと空を眺めたままだ。
「だ・ん・な」
「……」
弾むように問いかけるが返事はない。
「だんな!」
「……」
大きな声で呼びかけても返事はない。
ぴょんとヘルデビルの頭に飛び乗り、体を伸ばし上からのぞき込むように呼び掛ける。
「だんなってば!」
「……なんだ」
空を見つめたまま、気のない返事を返す。
「聞こえてるなら返事してくださいよ」
「……ハァ」
「なんか、昨日の一件以来、ずっとおかしいですよね」
「……なにがおかしい」
「全部」
「……」
「召喚獣最強のだんなが、ため息ばかりついちゃって。一体何があったんスか?」
「……わからぬ。昨日我輩を呼び出した召喚士を見た途端……心の臓がこう、ドキドキと動き出し……」
「ほうほう、それで?」(呼び出されたのはあっしですけどね)
「全身がなんかこう……カーッと熱くなって」
「ふんふん」
「その召喚士から目が離せなくなり」
「へいへい」
「魔界に戻って来た後も、その召喚士の事が頭から離れぬのだ」
「ほうほう」
スライムが右手の人差し指を立て、自身満々に言い放つ。
「それはズバリ、『恋』でやんすね!」
「……なんて?」
ヘルデビルが呆けた顔で頭上のスライムを見る。
「それ、恋です。ひとめぼれっちゅうやつでさぁ。あ、お米とちゃいまっせ」
「お米?」
「恋。言い換えるならばラヴ」
「……なんだそれは」
「誰かを『好き』になるってことです。だんな、その召喚士を好きになっちゃったんでさぁ」
「……何を馬鹿な」
視線を落とし、首を左右に振る。
「その人のこと、もっと知りたいと思いません?」
「……まあ」
「その人のこと、抱きしめてみたいとか思いません?」
「……」
想像したのか、ヘルデビルは頬を染め、うつむいた。全身が紫色の為、顔色がイマイチわかりづらい。
「はぁー、まさかだんながねえ……人間と召喚獣の恋は、たまに聞く話ではありますけども」
頭上のスライムが、腕を組んで空を見上げる。
「……どうすればよいのか、わからぬ」
「うーん……そッスねえ。思い切って告白しちゃうとか」
「告白?」
「好きだって伝えるんでさぁ」
「伝えたらどうなる?」
「まあ、現時点では怖がられるだけかもしれませんね……」
「……それは、嫌だ」
「だったら、少しずつ仲良くなっていくしかないですね」
「……どうすればよい?」
「うーん……とりあえず、次呼び出しがあったら、あっしもお手伝いするんで、ちょっと話してみたらどうでしょ」
「……話すって、何をだ?」
「その召喚士、名前はなんて言うんですか?」
「……わからぬ」
「じゃあまず、名前を聞き出しましょう。そして相手の良い所を褒める! そこから始めまっせ」
「褒める、というのはどういう……」
その時、二人の前に金色の魔法陣が現れた。
「おっと、これは多分あっしのお呼び出しでしょうね。その召喚士とは限らないですけども、とりあえず一緒にいきましょう」
「ちょっと待て。褒めるってどうすれば……」
「早くしないと魔法陣消えちゃいますよ! ほら!」
「ぐぬぬ……」
せかされるままに、ヘルデビルは頭にスライムを乗せて魔法陣に飛び込んだ。
――人間界。
「出でよ! スライム!」
昨日と同じ森の中。シンカがスライムを呼び出すと、魔法陣から頭にスライムを乗せた悪魔が出てきた。
「ひゃあ!」
ぺたん、とシンカが尻もちをつく。
「やあやあ、どうもどうも。驚かせちゃってごめんなさいね」
スライムが気さくにシンカに話しかける。怯えながらも、シンカはスライムに会釈を返した。
(なるほど、この人が……。美人、という雰囲気ではないけど、ころっとして可愛い感じのお嬢さんでやんすねえ)
「ま、また出た。しかも頭に変なのが乗ってる」
前の方で、トーチがおびえている。
「じゃ、だんな。頑張っておくんなせえ」
耳元でささやくように言うと、スライムは頭からぴょんと飛び降り、前方の魔物にのそのそと向かっていった。
「姉さん、助太刀しまっせぇ」
「だ、誰が姉さんよ。つーか、あんたなんなのよ!」
「召喚されたスライムでやんすけど……」
ポリポリ、とスライムが頭をかく。
「あぁ……今度はうまくいったのね。じゃあアレ! アレは一体なんなのよ!」
シンカがビシッとヘルデビルを指さす。
「あの人は魔界最強の召喚獣、ヘルデビルのだんなでさぁ」
えっへん、とスライムが胸を張りながら答える。
「最強の召……なんでそんなのが出てくんの!?」
「まあ色々ありましてね」
「色々、って……」
「まあまあ、とりあえずこいつらをやっつけちゃいやしょう」
親指でクイっと目前の魔物たちを指さす。
「それもそうね……いくわよ! ハァァ!」
トーチとスライムが魔物と戦っている頃、ヘルデビルはまだ、シンカに背中を向けたままでいた。
「……」
「あ、あの……」
ギギギギ……と音がしそうな、機械的な動きでゆっくりと振り向く。
(こ、こわいよぉ……)
「娘……」
「は、はいっ」
「……きさ……お前の名は、なんと言う?」
「な、名前、ですか? わたしは、シンカです。『シンカ・ショウ』って、言います……」
持っている杖をぎゅっと握りしめ、恐る恐る、質問に答える。
「シンカ、か……」
(褒める、褒める……)
今まで誰かを褒めた事など、ほとんどなかった。
アゴに手をあて、しばらく考えた後、次の言葉を口にする。
「……シンカよ……お前はその、とても美しい、と思う」
「え?」
「……特にその、もちもちとしたボディーラインが……最高だ」
「……」
シンカの表情が、どんどん悲し気なものに変わっていく。ついには俯き、黙りこくってしまう。
そうこうしているうちに、戦闘は終わったらしく、スライムとトーチがハイタッチをしている。
「だんなー! お時間でっせー! それじゃ、お二人とも、また会いやしょう!」
スライムが叫ぶと、二人は消えて行った。同時にトーチがシンカに駆け寄り、肩をつかむ。
「シンカ、大丈夫だった!? 何かされなかった!?」
問いかけながら、肩を軽くゆさぶる。
「……大丈夫だよ」
暗い表情で、力なく答える。
「昨日の今日ので、一体なんだったのかしらねアイツ」
「……」
「どしたの? やっぱりなんかされたんじゃ……」
「……なんでもないよ」
「スライムの方は、なんか妙になれなれしいやつだったわね」
「そうなんだ」
「ま、とにかく気を付けなさいよ。悪魔は魂を狙ってるって言うからさ」
「うん……。ハァ……」
シンカは自分のお腹を少しつまみ、ため息をついた。
――その頃、魔界では。
「ふぃ~、おつかれッス」
「……うむ」
出てもいない額の汗をぬぐいながら、スライムが労をねぎらう。
「さてさて、どうでした? 名前は聞けましたかい?」
「……シンカ、と言うらしい」
「おーやりましたねえ。シンカちゃんかぁ……いい子そうじゃないですか」
「……だろう?」
「ちゃんと褒められました?」
「うむ。美しい、と言っておいたぞ」
「お、いいスねえ」
「あと、もちもちしたボディーラインが最高、とも」
「うんうん、もちもちしたボディー……はい?」
スライムは右手で両目を覆い、天を仰いだ。
「……どうした?」
「だんな。それ、ダメです。最低です。ただのセクハラ親父ッスよ」
「……なん、だと」
「いいですかい。基本的に、女性に体型の話はしないほうがいいです。例え悪気がなくても」
「……そういうものなのか」
「よりによって、もちもちだなんて。コンプレックスを刺激するようなワードは、一発退場ですよ」
「……コンプレックス?」
「コンプレックスっちゅうのはね……」
その後二時間程、みっちりとスライムのお説教を受けたヘルデビルであった。