第一話 出会い
ここは魔界――。召喚獣たちの住む世界である。
漆黒の空には巨大な赤い月が浮かび、大地は赤茶けた土に覆われ、曲がりくねった不気味な木々が不規則に立ち並ぶ。
そんな魔界の片隅に、静かに立ち尽くす、全身紫色の巨大な影がひとつ。
「…………」
身長二メートル以上。頭には黒く鋭い角が二本生えている。
とがった大きな耳に、釣りあがった目は血のように赤い。
高く突き出た鼻に、口からのぞく鋭利な牙は、容赦なく獲物をかみ砕き、筋肉に覆われた屈強な体はどんな攻撃にも屈しない。
手足に生えた黒く鋭い爪は全てを切り裂き、背中に生えた漆黒の羽で、空に逃げた獲物も逃さず仕留めるだろう。
――そう、彼こそが最高位の召喚獣。『ヘルデビル』その人である。
「だんなー。デビルのだんなー」
緊張感のない間の抜けた声で、ひょこひょこと地を這いながら、ヘルデビルに近づいて来る者がいる。
「こんなところで何やってんスか? だんな」
彼は『スライム』。魔界の中で、最下位に位置する召喚獣である。
バスケットボール程度の大きさで、緑色のぷるぷるした体に、二つの目と口がついていて、左右には触手で形作った腕がついている。
「……暇だ」
低く、大地を震わせるような、おぞましい声で答える。
「まあ、だんなを呼び出せるレベルの召喚士なんて、滅多にいないッスもんねぇ……」
やれやれ、といった感じに腕を左右に広げ、話を続ける。
「その点、あっしなんて、なりたての召喚士がほいほい呼ぶから、もう忙しくって」
「……」
「あ、ホラ、言ったそばから」
スライムの目の前に、金色の六芒星が輝く魔法陣が現れた。
この魔法陣は、『召喚士』からの呼び出しを意味するもので、魔界と人間界をつなぐ扉となっている。
「そんじゃ、ちょっくら行ってきまさぁ」
すちゃっと右腕を上げ、スライムがぴょんと魔法陣に飛び乗ると、スッと体が消えて行った。
「…………」
ヘルデビルが腕を組んで待つこと一分、フッと瞬間移動したように、魔法陣があった場所にスライムが戻ってくる。
「いやいや、おつかれッス」
言いながら、腕で額をぬぐう仕草をとる。
「……忙しそうで、うらやましい限りだな」
「だんな、なんか怒ってます?」
「……別に怒ってなどいない」
「だって、だんなの顔、おっかないッスよ」
「……これは生まれつきだ」
最高位と最下位の召喚獣。普通なら会話も憚られるような立場だが、なぜかこの二人は仲が良かった。
「あ、まただ。失礼しやす」
再び魔法陣が現れ、スライムが飛び込み、きっかり一分後に戻ってくる。
「いやいや、どうなってんスかね今日は。あー忙しい」
「……スライムよ」
「へい?」
「次、呼び出しがあったら、我輩と代われ」
「えぇ? そりゃまずいんじゃないスかね」
「このままでは、体がなまってしまうわ」
首をコキコキ鳴らしながら、ヘルデビルが気だるそうにスライムを見る。
「うーん、でもなー……あ」
スライムの前に魔法陣が現れる。
「……ではな」
「いや、やっぱやめといたほうが……」
スライムの制止を聞かず、ヘルデビルはスライムの魔法陣に飛び込んで、消えて行った。
「あっ。あーあ……僕、しーらないっと」
――その少し前。
ここは人間界のとある森の中。軽めの鎧をまとい、赤いポニーテールにチラリと見える八重歯がトレードマークの戦士『トーチ・ダモ』と、白いローブに身を包んだ幼馴染の召喚士、『シンカ・ショウ』が魔物討伐に来ていた。
この森の近くには【テルダーソ学園】という、冒険者を育成する学校があり、彼女たちはそこの生徒である。
「シンカ! 魔物だよ!」
二人の目の前に、黒いニワトリのような魔物が現れた。
「う、うん」
トーチは剣を、シンカは杖を構え、戦闘態勢に入る。
「そうだ、召喚使ってみたら? せっかく召喚士になったんだし」
「う、うん。でも、大丈夫かな」
「なぁにビビってんのよ。いいからやってごらんって。あいつはあたしが押さえておくからさ」
「わかった」
トーチが魔物に斬りかかって行く。シンカは深呼吸をすると、杖を構え、呪文を唱えはじめた。
「ウユジンカ・ウヨシセ・マデイオ……」
杖を前に突き出し、力強く叫ぶ。
「出でよ! スライム!」
シンカの前に金色に輝く魔法陣が現れる。そして――。
――二メートルを超える巨大な悪魔が現れた。
「うぇえぇ!?」
「どうしたの! 変な声出し……どぇぇぇえ!?」
戦闘を中断し、後ろを見たトーチの目玉が飛び出る。
一目見ただけで危険だとわかる生き物が、二人の間に立っていた。
「な、な、ななな、なによそいつ!」
「わ、わ、わわわ、わかんないよぉ!」
「……娘。我を呼び出したるは、貴様か?」
低く、腹に響くおぞましい声で、ヘルデビルがトーチに問いかける。
「し、しし、知らんです! あたし、な、なにも」
トーチが首を横にぶんぶん振って、自分は関係ないとアピールする。
トーチと戦っていた魔物まで、その異様さにあてられ、恐怖で固まってしまっている。
「ご、ごめんなさい。わ、わたし、です。呼び出したの。多分……」
後ろから聞こえる声に反応し、ヘルデビルがゆっくりと振り向く。
その女性を見た瞬間――。ヘルデビルの体中に衝撃が走った。
所々クセのついた、草原を駆ける馬のたてがみのような、きめ細やかなブラウンの髪――。
豊かに実った稲穂のように、力強く生えそろった眉――。
星を散りばめた夜空のように、キラキラと輝く黒く丸い瞳――。
愛らしい小さな鼻のまわりに、瞳からこぼれ落ちた流星群のように広がるそばかす――。
作りたての桃のゼリーのような、少し厚みのあるピンク色の唇――。
少し小柄で、ほどよくふっくらとした、焼きたてのパンのような健康的な体型――。
その女性の全てが、ヘルデビルの脳天を貫き、足元まで突き抜けて行く。
(なっ……なんなのだ……これは)
心臓の鼓動が高鳴り、全身の血液が顔に集まったかのように火照る。
目の前にいる女性から、目が離せない。だが、すぐにでも目を逸らしたい。
わけのわからない感情が、ヘルデビルの中であふれ出し、止まらなくなる。
「ぐ……ぬう……」
「あ、あの……?」
「ぬぉぉっ!」
「ひっ……」
シンカの声を聞くだけで、いてもたってもいられなくなる。
「……娘……何故、我を呼び出した?」
胸を押さえながら、何とか声を絞り出し、目の前の女性に問いかける。
「え、あの……魔物と戦っていただけたら……と思いまして」
「魔物? 彼奴か……フンッ」
ヘルデビルが右手をかざすと、ジュッと音を立て、一瞬で魔物が蒸発した。
「うひぃっ」
驚いたトーチが腰を抜かし、尻もちをつく。
「これでよかろう。……さらばだ」
そう言い残し、ヘルデビルは魔界へと帰って行った。
「こ、こ、こわかったぁ……」
気の抜けたシンカは、泣きそうな表情でへなへなと地面にへたり込んだ。
「な、な、なんだったのよ、アレ」
トーチが腰を抜かしたままシンカに問いかける。
「わかんないよぉ……スライムさんを呼び出したら、あの人が出てきたの」
「絶対やばいやつよ、あいつ」
「うん……でも、一応言うこと聞いてくれた、のかな」
言いながら、魔物が蒸発した場所を見る。
「……もう一回、呼んでみる?」
「わたしのレベルだと、まだ一日一回しか呼べないから……」
「……本当に、呼んだのはスライムだったのよね?」
「う、うん」
二人は、先ほど現れた恐ろしい悪魔の姿を思い出し、身震いした。
一方その頃、魔界では――。
戻ってきたヘルデビルを、スライムが迎える。
「お、だんな! どうでした?」
スライムの問いかけに答えることなく、ヘルデビルは左手で胸の辺りを押さえ、黙り込んでいる。
「……だんな?」
漆黒の空を見上げ、あの召喚士の姿を思い浮かべる。
(鼓動が……止まぬ……)
最強の召喚獣、ヘルデビル。生誕二百年目の初恋であった――。