最終話 巣立ち
この後続けてエピローグを投稿します。
私と司は、病室の前の椅子に並んで座っていた。
二人とも、黙って下を向いたまま。
数センチの、微妙な距離感。それを埋める理由は、どこにもない。
ついさっきまで、私は病室で匂色先輩と話していた。
顔に涙の後は残っていたけれど、彼女はあり得ないくらい元気だった――むしろ、お母さんになれたことに対しての幸せで、満ち溢れていた。
私は会う直前まで、どんな言葉をかけたらいいか悩んでいたのに。
彼女は、生きる意味を取り戻していた。彼女のこれまでの不幸など、まるでなかったことになったみたいだった。
でも……むしろ、だからこそ私は、言葉が禄に出てこなかった。「よかった」なんて思えない。
誰が何を幸せと思い込もうと、全ては無意味なのだと――そう、知ってしまったから。
「……………………………………。」
「……………………………………。」
さっき私が廊下に出た時から、司は座って待っていた。話したいことがあるらしい。
……でも、こうしてずっと黙っている。
私は急かさない。顔を覗き込んで、「どうしたの?」とも聞かない。
何のことかはわかっていた。
それに、この人と感情のやり取りをすることの意味があるかどうかさえ、もう――
「……………………叶多。」
長い沈黙を破って、司がようやく口を開いた。
「僕は、園安先輩だけじゃなくて……………晴翔たちも、殺した。」
「……………………知ってる。」
「ごめんなさい。許してもらおうなんて思ってないし…………後悔もしてない。」
司は、私の顔を見ながら無感情に言った。
私は、ぐっと唇を噛んだ。
――やっぱり、そうなんだ。
あいつが言った通りだ。彼は未道信司のロボット。必要とあれば仮初の感情を捨てて、容易に殺戮マシーンと化す。
「……僕は人殺しだ。君の友達を殺した。君の好きだった人も殺した。これからもまた殺す。何度でも殺すと思う……だから、もう君の友達の資格はない。僕は結局、人間じゃない……それで、構わない。」
「………………っ!」
どうしてわざわざ、そんなことを言うのだろう。
私は我慢できなくなって、叫ぼうとした――――何を?
「――でも!」
でも、司は――
「でも……こんなのおかしいって思うだろうけど…………ごめん。ちょっとだけ、泣かせて。」
感情を抑えていた堤防が壊れたみたいに、司は顔をゆがめた。
「…………え。」
司は私から顔を逸らし、黙って泣き始めた。
「……………………!!」
――違う。
機械なんかじゃない、絶対。
機械はこんな風に、苦しんだりしない。
司は、人間のことがどうでもいいと思って殺しているのではなかった。
強いから、何でもできる訳でもなく。
正しいことのためなら、何でもして良いと思える訳でもない。
誰かを助けるには、他にどうしようもなくて。
選びたくなくても、戦えるのは自分しかいないから、迷っている暇などなくて。
思い通りに、助けられなくて。
苦しくても、戦うしかなくて。
司は、私たちと一緒で、弱いのだ…………人間なのだ。
「…………え、叶多……?」
私は何も考えずに、司の体に抱き着いていた。
「…………無理しなくていいよ。嫌いな人を助けなくてもいい。人間は、好きな人と幸せになれれば――」
「っ……嫌いなんかじゃない!そんな訳ないでしょ!」
私は顔を離して、司の両肩を掴む手に力を入れる。
司は私の顔を見て、口を閉じた。
「司だってっ…………そんなに苦しいなら、やらなくていいじゃん、何にも……!泣きたいなら、もっと早く言ってよ…………!」
「…………ありがとう。……でも、僕は戦う。」
「…………なんで…………嫌だよ、もう、こんなの……司だって嫌でしょ。逃げちゃおうよ、もう…………。」
「ごめん、それはできない。」
「こんなのっ!続けたってどうせ……っ!!」
その先の言葉が、喉につっかえたようになって言えなくなった。
言いよどんだわけではない。文字通り、喉から音が発せなくなった。
それだけではなく、数秒間、息が止まってしまった。
「…………っ、はぁっ!げほっ、えほっ、えほっ……。」
司はそんな私の様子を見て、何かを察したように言う。
「……わかってる。優子たちは、僕に何か隠してるんでしょ。聞いたら僕が戦いたくなくなると思ってるから。――でも、そんなこと関係ない。」
「え…………なんで……?」
司の大きくて真っ黒な瞳は、私の縋りつくような視線を、いとも簡単に受け止める。
「きっかけが何だったとしても、誰のどんな思惑があっても、これは僕が一度始めたことだ――最後まで、責任を取らないといけない。」
「……何それ。司の責任なんかじゃ、ないよ……。」
目を逸らしたのは、私の方だった。
司の目の奥には、何か私が知らない、得体の知れない大きなものがあったから。
やはり、司は強者だ。
私の気持ちなんて、引き留めるための大義にはならない。
「…………それが僕の気持ちだから。僕は、人間を助けたいんだ。叶多の事も守りたい。……しばらく会えなくなるけど、また助けが必要だったら、いつでも呼んで。」
「……違うっ、そうじゃない………人間を助けたって意味ないよ!司が戦ったって、報われないよ……ああいう怪物がどんどん増えてくし、何もかもめちゃくちゃになっちゃうし……こんな世界もう、どうしようもないよ……!」
「……そっか。僕たちが戦ってもそうなるって決まってるんだ。じゃあ、そう覚悟する。」
私は司の胸に寄り掛かりながら、首を振る。
「違う、違うよ…………お願い、『私のこと守る』って、約束守ってくれるなら、私から離れないで……私、司がいないと…………もう、どうやって生きればいいか、わかんないよ。」
この現実に、耐えられない。
私が泣いていると、今度は司が私を抱きしめた。
「……大丈夫。叶多は生きていけるよ。叶多は強いから。何があってもあきらめなければ、絶対幸せになれる。」
「駄目だよ、司が、いないと……私、ただの人間、なんだよ……?天使じゃない……戦えないし、何にも勝てないよ…………。」
「勝てなくていい――人間は弱くても、翼がなくても歩いて行ける。希望は必ずあるはずだよ……世界がどうなってようが、関係ない。」
司はお母さんが幼児にするように、私の背中をトントンと叩きながら言う。
「人間は……叶多は生きたいと願ってるし、幸せになりたいって願ってる……うまく言えないけど、そういう、『願う力』がある。それをどうやって使うのか、どうやって幸せになるのが正しいのか、わかんないけど……でも、その方法を探すことはできるはず。」
そう言って司は、私の肩を押して、自分から引き離す。
「僕は、人間がそうするのを助けたい。人間のこと、信じてるから……叶多のことも、信じてる。」
「…………司っ……………………!」
未だに人間という大きな主語で語るくせに、司は私の名前も繰り返し使い続けた。
――叶多のため、叶多を守る、叶多ならできる、叶多を信じてる……。
…………ずるいよ。
私達はまた、何も言わずに視線を合わせていた。
それは、ただの確認作業だった。
もう、私が言えることは何もないし、司にとっても、言うべきことは全て言ったということだろう。
お互いの気持ちはもう、わかりきっている。
私の望みは、叶わないということも。
司はそう宣告し、私はそれを受け入れるしかないのだということも。
「…………じゃあね、また今度。」
そう言って司は、席を立った。
「……………………うっ、うぅぅ……うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁん…………!」
私はいっそ大声で泣くことにした。
予想通り、司は振り返りもせずに歩き去って行く。
でも私は、それ以外にどうしようもないから、どうしようもない悲しみをぶちまける。
奪われて、裏切られて、望みを絶たれて――
そんな世界で唯一の、最後の砦だった司ですらもう、私の幸せを保証してくれなくなった。
私の鳥籠の中にはもう、金の卵はない。
でも、そんな司は私に生きろと言って、突き放した。
だって、私がそう願っているから、と。
……私は、
嫌だ。
嫌だ、そんなの。
…………………………………………生きたい。
私は、生きたい。
私の鳴き声を聞いたせいで、病室の中の赤ちゃんも泣き始めた。
その声を聴いて、私は我に返る。
「うぅっ、うっ、ひぐっ……………………。」
ようやく、嗚咽も収まってきた。
私は瞼を擦って、涙をぬぐう。
……………………さようなら、私の天使。
またいつか私は、地を這いながら天空に彼を見出すだろう。
そして、その輝きの美しさに恋焦がれながら、己の惨めさを噛みしめるだろう。
でも、もし目が合えば、手を振って挨拶するかも知れない。
…………その時私は、どんな顔をしているのだろうか。




