<幕間>~途ケ吉人志の業務日誌③~
追記:ルビなどを取り急ぎ修正いたしました。すみません。
12月7日、23時11分。
駿河県肥沼市内の、とある廃墟――児童養護施設「ハーメルン」跡。
かつて緒方重治が設立し、結人が4年間閉じ込められていた場所。
そこに今、結人は途ケ吉と共に10年ぶりの距離を超えて飛んできた――瀕死の状態で。
「皮肉だよねえ……君はかつて、生きたいと願ってこの場所を後にしたのに。」
忌々しい思い出にも、懐かしさにも浸っている場合ではない。
途ケ吉の声に呼応するように、人気のない遊戯室に不気味な笑い声が響く。
「アハ、アハハ!オトモダチ、オカエリナサイ!アァッハッハッハ……!」
崩れた天井の下にできた水たまりを、ピンクのウサギの影が通り過ぎる。
体を失った緒方重治の魂は、今でもあちら側の世界に囚われたままでいるのだ。
「うるさいなあ……。」
途ケ吉は不愉快そうに言う。
この建物は、つい最近まで入所者たちを利用した「天使の粉」の実験施設として使っていた。
抑圧の中で絶望し、将来に対して明確な欲望を持たない子供たち――そんな彼らが更に肉体 的・精神的な極限状態に追い込まれた時、どのような「力」に目覚めるのか。
結果はほぼ予想通りだった。
ダストに適応しきれない、未成熟の小さな器。そこにただ「死にたくない」、「生きたい」という純粋に動物的な欲求が加わった時、彼らはことごとく理性のない化け物――「餓鬼」と成り果てた。
しかし、戦闘能力は成人の阿修羅態を上回る。途ケ吉に仕える兵隊としては、十分すぎるほど機能してくれるはずだった。
――だがこの施設もまた、二か月前に天愛教団によって破壊された上、餓鬼軍団も壊滅させられた。
そもそも彼らとの交戦を避けるために雨宮から撤退したというのに、彼らはしつこくも関東中で眷属たちの足取りを追い回し、遂に長年の拠点の一つに辿り着いてしまった。
この一年間、途ケ吉の計画には予定外が生じ続けている。
まず、人間に与する天使の勢力、天愛教団の出現。
彼らに目をつけられただけならば、まだ対処が間に合うはずだった。
だがそのタイミングと同時に、神谷永介と言うブラックホースが現れた。
途ケ吉の認識阻害が通じない、特殊な人間。しかも、警察など何の既存組織とも関係なくひっそりと、積極的にこちらを見つけ出そうと嗅ぎまわる厄介者。
そんな男が、あろうことか天愛教団と接触してしまった――途ケ吉にとって、千年に一度の不運だった。
更に追い打ちをかけるように明らかになる、未道信司が密かに作っていた「胎教」の存在。
最大の禁忌にして、宇宙の秩序を破壊しかねない史上最大の危険因子。
だが決してこれらは、途ケ吉の失敗などではありえない。
完全無欠たる天使は、全てを支配する存在だ。
努力などせずとも、常に最善の結果・最大利益を達成するのが当然なのだ。
――こんな屈辱は、到底受け入れられない。
その上途ケ吉は元来、自分が予想できない物事を酷く憎む。彼の苛立ちは今や頂点に達していた。
神谷を殺したとはいえ、自分の計画を完璧に完成させるまでは決して気が収まらない。
「……さてと、結人くん。お注射の時間だ。」
途ケ吉は床に倒れる結人の傍にかがんで、傍に置いてあるアタッシュケースを開く。
満身創痍でほとんど意識を失いかけている23歳の男――あるいは、永遠の少年。
彼もまた、途ケ吉の研究の中で際立った成果の一つだった。
「ハーメルン」で他のどの子にもない、ギラギラと欲望に満ちた瞳を持つ少年。
当時、彼には思いを寄せていた少女がいた。
玩具についてでも人間関係においてでも、彼女に少しでも不快をもたらす子供に対しては、結人は過剰なまでの「制裁」を加えずにはおかなかった。
愛する一人のためならば、どれだけ他者を犠牲にしてもかまわないという、強い決意。
まるで、「何かに逆らうためにそう声高に叫ばなければならない」、とでも言うように。
だがその少女は彼のせいで友人を無くし、一年後には彼と口を聞かなくなっていた。
……よって彼女自身、その「裏切り」の報復として、顔に一生消えない傷跡を残された。
結人に目をつけていた途ケ吉は、特別に彼を施設から解放し「昇天塔」に加入させた。
だが結果、彼は大それた犯罪行為には興味を持たず、「業務」の傍ら花嫁探しに明け暮れていた。
そして毎度毎度同じように、その重すぎる愛のために破局を繰り返していた。
……あまりにも、愚か。
だから途ケ吉はある時、彼の背中を押してやることにした。
当時タワーに加入したばかりの杉山はるかを、警察への通報を図った罪で「地下送り」にしたのだ。
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『――いやぁ全く、馬鹿な子だよねぇ。『ごめんなさい!もうしませんから!許して!』なんて叫んじゃってさぁ。『助けて結人!』だって……虫が良すぎるよねぇ?』
彼女の死体を前に膝をつく結人に、途ケ吉は饒舌に語り続けた。
『自分から君のことを拒絶したのにさ、ねえ?都合が悪くなったら捨てた相手に、我が身可愛さに命乞いするんだから。ほんっと、醜いよねぇ……。』
『……他に、なんて言ってた?』
『……いいや、何も?』
『……俺のこと、『愛してる』、とか……。』
『いいや……?ああ、でも確か、最後に『お母さん』って叫んでたね。』
『あ…………………あぁ、あっ、うああああぁぁぁぁぁ…………!!!』
それを聞いた結人は、何も言わずに慟哭し始めた。
『おいおい、どうしたんだよ……悲しむことなんてないじゃないか。裏切り者が勝手に死んだだけだろ。当然の報いだ。』
途ケ吉は彼の耳元で、優しく慰めの言葉をかける。
『大丈夫だって――――君は、何も悪くないんだから。』
『…………あぁ、俺はっ、俺は悪く無い……!!俺のせいじゃ、ないっ!ううっ…………!』
『そうそう、君は何も悪くないよ。』
『うぅっ、なん、何、で……なんで俺のこと、裏切ったんだよぉ……!俺のこと、好きって、言った、のにぃ……!酷い、酷いよぉお……!』
――え、悲しんでるの、そこ?
途ケ吉はその時、自分が唆すまでもなかったことに気づいた。
あっという間に彼は、彼女の死への悲しみを、憎悪と自己憐憫に転換したのだった。
それ以降、彼はどんどん「被害者としての自分」という物語を描く「技術」を向上させていった。
そして、一年後。
結人は自ら、立て続けに二人の花嫁候補に「脱落」を言い渡した。
片方は逃亡罪、もう片方は浮気の罪で。
そして、自分の手で彼女たちの遺体を棄てた――彼が二人の死体に向ける視線に宿るのは、もはや純粋な怒りのみだった。
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そして今、途ケ吉は結人の命の最後の煌めきまでも、自分の実験で飾り立ててやろうとする。
「――ほら、感じる?君の元カノさんたちだよ。」
そう言いながら途ケ吉は、注射器のシリンジを押し込む。
「園安結人」に対する欲で満たされた血を、結人自身に注ぐ。
その結果は、途ケ吉にも予想がつかなかった。
すなわち、血は血を求め、血を血で満たす。
渇望と充足の無限ループ。
それは器である人間の身を業火で焼き尽くすのか、それとも更なる進化をもたらすのか――
「――っ!あっ、ああぁっ……!!!」
体内に液体が注入されると、結人は一瞬で目を覚ました。停止していた心臓に、途ケ吉の血が入るだけで蘇生したということだ。
だが、それだけならどうということは無い――本番はこれからだ。
まず、脇腹の傷が早回しのように塞がり始める。
続いて、歪に折れ曲がった手足がひとりでに、正しい配列に戻っていく。
ミチミチミチ、ごき、ごきり、ぼきっ――
癒しにしてはあまりに暴力的な音を立てて、結人の体は修復されていく。
「あ゛っ、あぁぁ!あぅっ、ぁ、がぁぁ……!」
実際、それは苦痛に満ちたものであるらしい。結人はうめき声をあげながら、体を庇おうとするようにもんどりうつ。
「……せ、先生、俺……あっ――」
だが、全身の傷が癒えてもなお、彼の苦悶は終わらない。
状況を理解し始めたところだった彼の意識は、突然電源を落とされたように、再びひっくり返る。
「あ、あっあっ……ああぁぁっ、あっ……!」
結人は白目をむき、全身をガタガタと痙攣させ始めた。
――さあ果たして、成功か失敗か。
ごぼっ、びぎっ、ぐちゃっ、ビチビチビチッ――!
結人の口から洩れる呼気の音と重なって、彼の体内から異音が聞こえてくる。
手足の皮膚の下に、無数の「蔦」が浮き上がり、急速に体組織をむしばんでいく。
火傷の跡が残る顔面を、蚯蚓腫れのような赤い膨らみが覆っていく。
「あ゛あ゛ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
結人の全身から、白い煙がもくもくと立ち上り出した――成功の印だ。
「――さあ、見せてみろよ。君の『欲』がどこまで行けるか――!」
途ケ吉は、高揚しながらそう言った。
第4章はこれにて終わりです。




