第15話 悪魔狩り(2)
――二十三階。
エレベーターのセキュリティキーだけはどうしようもなかったから、ひたすら階段を上る羽目になった。
「いや~やっぱJKには厳しいっすかねぇ?叶多ちゃん、俺が抱っこしましょーか?」
「…………大丈夫、です……。」
「ダメだよそれは。叶多ちゃんには司君がいるんだから!」
「あ、そーだった、やっべえ!ごめんっす!」
二人は余裕そうにおしゃべりをしながら、軽い足取りで階段を駆け上がる。
司は通信機でこちらの会話を聞いているけれど、無反応だ。
私も反応している余裕はなかった。五段くらい後ろをついて行くのが、精いっぱい。
……まだ、匂いはそれほど強くなっていない。
「でも、叶多ちゃんマジでヤバそうじゃないっすか……あ!」
陽明さんが廊下を覗きこんで叫ぶ。
誰かがエレベーターから降りてくるところだった。
「あの—!そこの人ちょっとぉ!」
陽明さんは更に走る速度を上げて、その人の下に駆け寄っていく。
「失礼しま~~~~っすっす!」
そう言いながら自動ドアに手を差し入れ、彼を廊下に突き飛ばす。
「な、なんだお前っ!?」
叫ぶ男の人に対して、陽明さんがヘラヘラしながら頭を下げる。
「――あーごめん、叶多ちゃん、抱っこはダメって言ったけどっ。」
「え、うわっ!?」
優成さんはあっという間に私を抱きかかえて、床を蹴る。
ジェットコースターみたいな速さで、廊下の景色が通り過ぎていった。
「はーい、ナイススライディングぅ~!」
「ごめんなさいっ、怪しいものじゃないのでご安心を!」
白装束を纏い、血の着いた籠手を装備してJKを抱きかかえた優成さんがそう言いながら、エレベーターから追い出された住人に頭を下げる。
住人の目の前で、エレベーターの扉が閉まっていく。
彼が「裏」の人だったのかどうかはわからないけれど、面食らって口を開けている様は、私と同じ正常な人らしい反応だった。
「どーするっすか?五階おきくらいで止まりましょーか?」
「どうかな、叶多ちゃん?それでわかるかい?」
「……多分、わかると思います。」
――三十階。変化なし。
さすがはタワマン。エレベーターが広い。
体格のいい優成さんがいても、あまり圧迫感を感じない。
彼は優子さんみたいに、いつも顔に笑みを張り付けている。
どんなときにも前向きで落ち着いていて、天使たちの大黒柱と言う雰囲気だった。
……でも、やっぱりどこかおかしい。
この前、彼は神谷さんを悪魔から助けようとして……失敗したそうだ。
神谷さんはその日の朝、惨殺死体となって発見された。
優成さんは「不甲斐ない」と言って、すごく悔しそうにしていた。
……でも十分後にはもう、いつもの笑顔に戻っていた。
「くよくよしていたら駄目だよね。もう同じ失敗を繰り返さないためにも、頑張らないと!」
彼がそう朗らかな声で宣言した瞬間から、いつもの笑顔が機械的に「装着」されたのだった。
私はそれを見て、一瞬疑ってしまった――本当にこの人は、神谷さんが死んで悲しかったんだろうか?
それ以来、私は彼の笑顔が怖くなった。
――三十五階。
「……少し強くなった気がします。」
「よし、気ぃ引き締めていくっすよ!」
陽明さんは両手の拳を構えて、息を吐く。
この人こそは、明らかにヤバイ人だった。
なんというのか……言動はチャラ男みたいだけれど、中身はどちらかと言うと、刀使いの比奈さんみたいな感じがする――彼女と同じように、常に瞳孔が開いている。
――四十階。
「近いです!かなり……!」
「……ここからは、二階おきくらいにするか。」
――四十二階。
――四十四階、四十六階、四十八階。
――五十階。
「……通り過ぎちゃったみたいです。」
――四十、九階。
扉が開いた瞬間、あの甘い臭気がもわっと入り込んでくる。
「ここです、絶対……!」
「……行こうか。」
「司くん、聞こえてるっすか?準備よろしくっす。」
「…………あ、待ってください。」
私は、嫌な予感がした。
……あまりにも、匂いがきつすぎたからだ。
「これ……本人、いるかもしれないです。」
「園安が?」
「はい。」
「あー、運悪いっすねぇ……。」
さすがに陽明さんも、堅い顔で声を低める。
目撃情報によれば、園安は夜21時から朝方にかけて外出しているはずだったのに。
「……叶多ちゃん、ここで待ってるかい?」
「危なくないっすか?他の住人もグルの可能性高いっすよ。」
「…………じゃあ、ついて行きます。」
私に選択肢はなかった。
――もう、あいつの顔も見たくないのに……。
私は恐怖をお腹の底に押し込みながら、二人の後ろを進む。
時々振り返って、誰かが他の部屋から出てこないか確認する。
――大丈夫、この人たちは「強い」んだし。司だって、助けてくれる……。
「…………ここ、です。」
497号室。
その扉の前に、私たちは立つ。
「――『開けゴマ』。」
陽明さんがそう呟くと、オートロックがひとりでに解除される。
「――失礼しまっす。」
「――もうすぐだね!もうすぐ、俺たちほんとの家族になれるね……。」
廊下の奥、扉の向こうからあいつの声が聞こえてくる。
「……おい、返事しろよ。無視すんなんてひどいだろっ、なあ!」
「っ、やめてっ……!もうっ、何も聞きたくないっ……!」
涙交じりの女の人の声が答える。
――匂色、先輩?
優成さんが先陣を切って走っていき、その扉を叩きつけるように押し開いた。
「――二人ともいたぞ!」
それを聞いた陽明さんは、後ろ手に玄関を閉めて再び「命令」する――「『開かずの扉』。」
オートロックはかからない代わりに、絶対に開けられなくなった。
続いて再び別の「命令」を繰り出す。
「『おままごと』――包丁を人に向けてはいけません。狙うのは悪魔だけ。」
陽明さんが早口でつぶやくと、彼のズボンに下げられた四つのホルダーから、それぞれナイフが宙に飛び出した。
そんなはずはないとわかっていても、今にも私に向けられる気がして恐い。
陽明さんはニヤニヤしながら両手を広げ、刃を下向きにナイフを整列させる。あたかも指揮をするかのように。
「――誰だお前っ、なんで……!?」
リビングから園安の驚いた声が聞こえてくる。
「ちょっとさがってて――さあ、お仕事の時間っすよ!」
陽明さんは楽しそうにそう言いながら、後からリビングに駆け込んでいく。
彼の体の後ろからナイフたちが、侍るように飛んでついていく。
「クソがっ!つぼみ、下がってろ!」「陽明、まだ入るな!」
二人の声が重なり、何か柔らかいものがあふれ出すような音がする。
その後に、物がぶつかり合うような音が数度続いた。
「――今だ!」
音が止んだ一瞬の隙に、陽明さんもリビングに侵入する。
私は扉の陰から恐る恐る中を覗き込んだ。
扉のすぐそばに調理台がある。
その向こう側、広い空間の中央にソファがあった。
良く見えないけれど、そこに匂色先輩が座っているらしい。
その手前で、優成さんは園安結人と対峙する。
彼の背中からはすでに、あのグロテスクな、蔦のような触手が展開されている。
陽明さんはあっという間に、彼の後ろ側にスライディングして回り込む。ソファに座る匂色先輩に近づくために。
園安は彼に気づいて振り返る。
「――殺せ。」
陽明さんの掛け声を受けて、ナイフが宙を舞う。
園安はそれらを触手で残らず弾き飛ばした。
でもその隙に優成さんが間合いに入り、彼の触手を二本、左手で掴む。
「うらあっ!」
触手を引き寄せるのと反対の手で、園安の顔面を殴りつける。
金色の重そうな籠手が、彼の端正な顔をパン生地のように押し潰す。
血液と歯が飛び散り、私は目を逸らす。
「っ!!があぁっ……あぁああ゛っ!」
園安は激高し、触手を膨らませて優成さんの手から逃れた。
再び、触手の群れを彼に差し向ける。
触手は彼の体に届く寸前で、バチッと硬い音を立てて弾かれた。
その間に四方から、さっき弾き飛ばした包丁が再び彼に襲い掛かる。
――私、ここにいて大丈夫なの……?
そう思っていた矢先、私の傍の包丁立てから三本の包丁が飛び上がった。
「きゃっ!?」
包丁はひとりでに宙を舞い、陽明さんの武器の群れに混ざる。
本格的に、巻き込まれる可能性が高くなってきた。
私は部屋から廊下に一歩後ずさる――でも、二人から離れたら守ってもらえなくなる。
玄関は閉まっているし、優成さんはずっと、私と園安の間に立ってくれている。
――でも、万が一あいつがこっちに来たら……。
そうこうしている間に、陽明さんは匂色先輩を抱きかかえ、窓に向かって駆け出した。
……私は彼女の姿を見て、言葉を失った。
彼女のお腹は、一目でわかるほど大きく膨らんでいた。
肥満では、ありえない……もう、臨月じゃないだろうか。
先輩の顔には涙の跡と青黒い隈がこびりついていた。
元々細い腕が、やつれて老人のように骨張っている。
今は、この意味不明な状況に対して驚いた顔をしている。
でもその顔はまるで、長い間表情を出す仕事をしていなかったみたいに硬く強張っていた。
陽明さんはそんな彼女を抱きかかえながら、「うえっ!」と顔をしかめた。
それは彼女に対する同情だったのか、それとも――
「っ!てめぇらっ!!」
園安は血走った眼でそっちを睨む。
その間に、合計七本の刃物が、彼の前面に容赦なくとびかかった。
私は刺さる瞬間を見ないように、反射的に目を閉じた。
「っ、あぁ゛っ……!」
「……げぇっ!?うっそだろっ――」
目を開けてみると園安はまだ、その場に当然のように立っていた――脇腹に、一本だけ包丁が刺さった状態で。
他の6本は全て、触手で受け止めている。
「――つ゛ほ゛み゛を゛っ、か゛え゛せ゛ぇ!」
さっきの倍以上の本数の触手が、陽明さんに向かって伸びていく――
「――『魔法の絨毯』!」
陽明さんが叫んで床を蹴る――すると、そこに敷いてあった絨毯が丸テーブルの下をすり抜けて飛び出し、触手の動線を空中で阻んだ。
先端だけが硬い職種は、厚い絨毯の目にブスリと刺さって止まる。
「閉じ込めろ!」
絨毯はあっという間に広がり、触手ごと園安の体を包みこんだ。
円筒状に丸まった絨毯は、彼を宙に持ち上げて締め付けていく。
「あっ、クソッ……があぁっ……。」
絨毯の中で触手同士が絡まって、動かせないらしい――そこに優成さんが飛びついた。
「――うおおぉおぉぉ!!」
彼は絨毯の上から、悪魔をボコボコに殴りつけ始める。
「あ゛っ、がぁ゛っ、あ゛、あ゛あぁっ……!」
殴打の鈍い音がひたすら繰り返される。
絨毯の束が締まったり緩んだりを繰り返して、時折人間としてありえない歪な輪郭になる。
きっと中身は、腕も足もバキバキに砕けている――私はそう思って気持ち悪くなった。
『もし目の前で戦闘が起きていて、他の場所に逃げられないときは、よそ見したりしないように。僕たちは、流れ弾まで気を付けられない時があるから。』
これを、見続けなければいけないのだろうか。
あの悪魔の息の根が止まるまで。
あいつの骨が折れる音と、肉が潰れる音と、醜い悲鳴を聞き続けなければいけないのだろうか。
――早く、早く終わって、こんなの……。
「司くんっ、今っす!」
そう言いながら陽明さんは、先輩を庇って地面に伏せさせる。
――一瞬、窓際に司の立ち姿が見えた。
分厚い窓ガラスに穴が開いて、破片があたりに飛び散っている。
そしてまた次の瞬間には、彼の姿は消えていた。
匂色先輩も、陽明さんの体の下からいなくなっている。
「――よおっしミッション成功!後はっ!」
陽明さんは満足げな笑みを浮かべ、残りの包丁を全て操って園安に向ける。
「――処刑するだけぇっ、すっ!」
「う゛っ、あ゛あ゛あ゛ああああああぁぁぁっ!!!」
園安は触手を膨らませて、絨毯を内側から引き裂こうとした――
初めから最新話まで追ってきてくださっている方もいるようなので、ぜひ感想・ご批判などコメントをいただきたいです。このタイミングでなんですが、よろしくお願いします!