第10話 ドロップアウト
追記:一部加筆・修正を行いました。
愛本叶多、高校2年生。
私が化け物になりかけて、戻ってきてから半年後。
夏がやってきた。
去年、あの人と観覧車に乗った季節。
…………………………………………。
私は今日、天愛教団の施設に月一回の検診に来ていた。
康祐さん曰くこれまで特に異常はないらしいし、私自身も前と変わった感じは全くしない。
でも、やっぱり怖かった。自分の体が自分ではない何かに侵されたという事実もそうだし、その結果私自身も、もう普通じゃなくなっちゃったんじゃないか、なんて気がして。
今でも時々、夢に見る。
あの、生温くて気持ち悪い暗闇に飲み込まれる夢を。
自分の体から赤い触手が生えていて、それを使って司の体を蹂躙している夢を。
ものすごく嫌なイメージなのに、夢の中の私はなんだか、いつも楽しそうにしている。
……実際、あれは私自身の欲望だったらしい。
ずっと後になってから、美尾さんがそう教えてくれた。
あの「悪魔の血」を飲むと、一時的に欲望が暴走、のような状態になる、と。
そして更に飲み続けると、少しずつ、人間から遠ざかっていく――
私が飲まされたアレは、特に効果が強かったらしい。だから美尾さんは、『あんまり自分を責めなくていい』と言ってくれた。
それでも…………気持ち悪くて、しょうがない。
自分を責めるとかいう以前に、そもそもどう捉えればいいのか、わからない。
あれは悪魔のせい……でも、私自身だ。私は普通の人間。でも、普通じゃなくていいなら、化け物の私なら。ただの、ありふれた欲望。でも、それが強くなれば、あんな風になってしまう。たったそれだけで、「私」は壊れる。壊れても、「私」は「私」……?じゃあ、今の「私」は?本当にもう、壊れてない……?
考えれば考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになる――「私」って、何?
悪夢から目覚めた後も、あの「私」がまだ、どこかに残っている気がする。
それがいつか現実の「私」を塗り替えてしまう可能性を、ものすごくリアルに思い描くことができてしまう。
そういうことも含めて全部、康祐さんと医療スタッフの人たちに話している。
……正直言って、つらい。
でも康祐さんが、『そういうのは、誰にも言わず抱え込んでる方がまずい』って言うから、しょうがなく話している。
……私、こんなはずじゃ、無かったのに。
こんな風に、人に自分が怖いものを説明しなければいけない境遇じゃ、無かったのに。
おかしいことなんか、何もなかったのに。
人を殺そうとしたりしないし、頭がおかしい訳でもなかったのに。
化け物とか戦いとか、何も関係ない人生だったのに。
今の私は、完全に「異常」に成り下がってしまった。
もう、自分のことが普通だとは思えない。
どれだけ取り繕っても、元通りに生きられる気がしない。
というより、私だけの問題じゃない。
この街が、この雨宮が、この世界そのものが――もう、「普通」を保証してくれなくなった。
普通に人生を楽しんでいたら、ある日突然化け物に襲われたりする。
普通に恋愛を始めてみたら、その人が悪魔だったりする。
それが、私の生きている世界だ。
私の慣れ親しんだ、普通の人生のお話は――もう、どこにもない。
悲しい、だけじゃない。単に恐い、でもない――敢えて言うなら、「虚しい」だ。
私の信じた日常は、本当に儚いものでしかなかったんだ、って。
そんな悟りのようなものをぼんやりと抱きながら、でも深く悩もうともせずに、私は白い廊下を歩く。
康祐さんが道案内をしてくれている。
「匂色のことは俺たちに任せとけ。必ず助け出す。」
「はい……。」
匂色つぼみ。
途ケ吉人志や園安結人と一緒に、宿根高校から消えてしまった私の先輩。
園安の元カノだったことを合わせて考えると、彼の次の標的にされた可能性が高い、らしい。
心配で仕方なかった。私みたいに洗脳されってしまったかもしれない。あるいはもう、あいつの機嫌を損ねたせいで、あの娘達みたいに、バラバラに――
でも、バレー部の部員たちは誰も、彼女のことは覚えていない。彼女が消えたことで悲しむのも、怖がるのも、私一人だった。
匂色先輩がいなくなっても、みんなの日常は何の問題もなく成立している。
なんだか、ものすごく悔しいし……空しかった。
きっと私が消えた時も、同じだったんだろう。誰か一人が消えたって、困る人なんていない。
誰かの思い出の中も適当に帳尻が合わさってしまうから、その人の人生に支障なんて出ない。
そういうのを、見るのがつらい。
まるで、かけがえのない個人なんていない、って、言われているみたいで……。
……そんな鬱屈とした悩みも、最近は少しずつ、美尾さんたちのおかげで考えないで済むようになってきた。
私は、美尾さんの背中を見ながらひたすら歩き続ける。
この施設は、とにかく広くて複雑だ。そして何もかもが――白い。
病院のように無機質でもありながら、神殿のように凝った装飾もあって、なんだか変な感じがする。人工的な清潔さが、神秘的な美しさと一つになっている。
信者の人たちが一日中掃除をしているから、埃一つない。
康祐さんがまた、おもむろに口を開いた。
「――なあ愛本。お前、司のこと好きなんだよな?」
「…………えっと……はい、多分。」
私は取り繕うのをとっくにあきらめていた。カウンセリングで話したこととか、今まで見られた彼に対する態度から、バレていて当然だった。
「『多分』か……あいつとまた付き合いたいとか、思ったりする?」
「……わかんない、です。」
私自身もそれが「恋」と呼べるものなのかどうか、わからなかった。
司は私のことを命がけで助けてくれた。
あの約束を、口先だけのものにしなかった。
私の事を本気で心配してくれていて、私のために泣いてくれた。
……好きにならない方が、無理だった。
私は今まで彼に二回も救われて、その度に恋に落ちている……でも、思ったようにいかなかった。
それでも、二度あることは三度ある……あるいは、三度目の正直、なんて思ってしまう。
だって、これ以上の運命なんて、他にあるはずない。
実際、司から逃げた先で見つけたと思った王子様は、偽物で、悪魔だった訳だし。
――やっぱり私には、司しか、いないんだ。
そんな風に思っちゃダメだって、ずっと抑え込んできた。
どうせ、期待しても裏切られるだけだって思っていたから。
でも、私がそうやって司のことを拒絶していても、司は私を嫌いになってくれなかった。
それだけじゃなくて、ずっと見ていてくれた。
ずっと心配してくれていた。
『頑張ったよね』って言ってくれた。
この半年で、彼の戦いがいかに本物で、過酷なのかも思い知らされた。
もう、ただの気持ち悪い不思議ちゃんだなんて思えない。
でも、まだ彼に対する苦手意識も、大きかった。
中学生の時のことは、やっぱりどうしても納得がいかない。
謝ってくれたし、司も反省しているのは、わかる。
……でも、彼の性格自体は変わっていない。
変わっていないし、これからも変わることは無い。
私の気持ちが伝わることなんて、永遠にない気がする。
私が司のことを「好き」で、司も私のことが「好き」。
それはある意味で相思相愛。
でも、両想いには絶対になれない。
そう分かっているから、やっぱり真剣になることをためらってしまう。
今の私は、これを「恋」と呼ぶ自信は到底ない。
「いや、急にこんなこと聞いて悪ぃな……その、もしさ、愛本と、司自身が、改めてそういう関係になりたいって言うなら……下世話な話だけど、俺たちが話し合わねぇといけねぇから、さ。」
「……え。」
「俺たちには、あいつの将来を考える義務があるし……」
康祐さんは足を止め、複雑そうな顔をする。どうやって言えばいいか、迷っているみたいだった。
「…………もし、もしだぞ。お前かどうかわかんねぇけど、人間の誰かが文字通り、その、一生あいつに添い遂げるって言うなら……それは、かなりキツくなるはずだ。」
「……どういうこと、ですか?」
「……はっきり言って、天使と人間だと、普通の人間の恋人みたいにはなれない、ってことだ。これから行く先で、説明することとも関係してるから、詳しくはそっち聞いて欲しいんだけど…………主に二つ問題がある。」
康祐さんは私の表情を観察しながら、二本指を立てる。
「ひとつ。俺たちの戦いはこれからもっと激しくなる。司自身のリスクもそうだし、お前も巻き込まれる可能性が高くなる……ああ悪ぃ。お前って前提で言っちまった。だからまあ、要は安全の観点から言ったら、相当な遠距離恋愛になるかも知れねぇってこと。それからふたつ。……天使は、人間と子供が作れない。」
ひとつ目のことをよく考えるより先に、私はふたつ目で動揺してしまった。
――子供って……そこまで私、考えてないのに。
「ていうか……はっきり言うと、生殖活動自体が物理的に不可能だ。」
「え、あ……………………?」
「……ドンびいてるところ悪ぃけど、もっとえぐいこと言うぞ。なんでかって言うとな……人間の方が感電死するからだ。」
「……は?」
――感電、って、何で?何の話?
「キスもまずいな。死にはしねぇけど。……でも、一番危ないのは血液だ。人間の細胞は焼き殺される。だからあいつが大けがしても、人間には応急処置とかできない。共倒れになるだけだ。……まあ要するに、あいつに触れることに関しては、制約まみれって訳だ。」
康祐さんは私のことを品定めするように眺めながら、淡々と残酷なことを告げる。
「…………ちょ、ちょっと待ってっ、待ってください!」
キスで、感電……私は確かに、そのことを経験済みだった。
でも、キスもできないなら、恋人を名乗っていても普通の友達と何も変わらない。まして結ばれることは、絶対にできない。
だったら、付き合っても何の意味もない……?
私の恋は、絶対に、叶わない……?
私は頭がぐらぐらするような感覚を覚えた。
……というか、それ以前に。
「え、ひとつ目で言ってた、『今より危険』って……どれくらい、危険なんですか?なんで、そうなっちゃうんですか?」
「……それはこれから、博士に説明してもらえ。」
「博士」――未道信司博士。司の、お義父さん。
この先の研究棟で、私に話したいことがあると言っていた。
康祐さんは正面を向いて、再び歩き始める。
「悪ぃ……急にこんな話、ヤだよな。うぜえよな……でも、どうしても今、話しておかねぇといけねぇっつうか。」
「……………………。」
私たちは角を曲がり、窓のない連絡通路らしき廊下を渡っていく。その対岸には電子ロック付きの重そうな扉があって、警備員二人に挟まれている。
「この後さ、多分もっと意味わかんねぇこと言われるだろうし、考えんのもキツイことばっかだと思う……でも、どうせ避けては通れねぇから。」
康祐さんは私と目を合わせない。ただ、正面の扉を睨むように視線を固定している。
私たちが近くまで来ると、警備の人たちが無言で脇に避けた。
康祐さんは私を手で制して、一人で前に進んだ。
背中で隠しながら、タッチパネルを手早く操作する。
重い扉が、ガコンと音を立てて両側に開いていく――
「お前も、俺たちも……この先の運命からは、誰も逃げられない。」
康祐さんは、もう一度だけ私の目を見ながらそう言った。
もう我々は、引き返せない。




