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<幕間>~途ケ吉人志の業務日誌②~

今日は早めに投稿します。

なお、今回は残酷な描写が含まれます。ご注意ください。


追記:「能力」周りのことについて設定上の矛盾があったので、修正しました。

 途ケ吉人志は霧の中を足音一つ立てず、幽霊のように歩む。

 純白のコートに、透き通るような銀髪――まるで霧に紛れるために与えられたかのような容姿。

 そこに本当に存在しているかどうかもわからなくなるような、儚げで曖昧な輪郭。あたかもそのヒトの形は仮のものでしかないかのような、現実味のない印象。


 彼の視線は、常人の視力では見通せないような深い霧を貫いて、その先に立つ神谷永介に向けられている。

 神谷は立ち止まってポケットから大きな葉巻とライターを取り出した。わずか数十センチ後ろに迫る霧の壁には全く気付かない。


 途ケ吉はしずかに右腕をコートのポケットから引き抜く。


 開いた掌に音もなく霧の粒子が集まっていき、大きな水の球を形成していく。


 ……だがその水球は唐突に、ジュッという音と共に崩壊する。


 途ケ吉の掌から白い煙のようなものが逃げ出していき、ぽたぽたと水滴がこぼれだす。


 水球だけではなく、途ケ吉の身を包んでいた霧の群れも、あっという間に空に向かって溶けだして行く――文字通り、雲散霧消する。


 霧が晴れた後のあたり一面は、夜露が下りたように水浸しになっていた。


 途ケ吉は想定外の事態に若干動揺する――だが、その原因に気づくと、目を細めて余裕のある態度に戻った。


 原因は、今や正面から途ケ吉と視線を合わせている、この男自身だった。


 彼が突然振り返って葉巻から噴き出した煙が、霧とぶつかったのだった。


 神谷は葉巻を指に挟みながら言う。

「……この葉巻とライターにはね、天使の体液が仕込んであるそうだ。」

 刑事として十五年、探偵業が四年――そんな神谷からすれば、途ケ吉の素人同然の尾行に気づくのは簡単だった。

 例え化け物の力で音を消そうが、それ以前に街中で動きに気づかれてしまった以上、無意味である。


 途ケ吉は何も言わずに神谷をにらむ。

「ところで、天使の力と言うのは様々な形をとるらしい。体液、無機物、実体の曖昧なエネルギー……そして人間の体に侵襲して働く場合、その効果は良いものも悪いものも様々だとか。」

 途ケ吉は彼の話していることなど何も聞いていない。

 単に、ただの人間ごときが天使の力を道具として使っている事実が不愉快だった。

「……それで思ったんだ。もしかして、君達もそうなんじゃないのかい?田辺芳次も川上葵も――『悪魔』なんかじゃなく、天使の血を摂取して変質した、元人間なんじゃないのか?」

「……で、君は何?僕にその突飛な『推理』の答え合わせをして欲しい訳?」

 「天使の粉(エンジェルダスト)」――暴風雨戦争で途絶えた大麻の流通と入れ替わるように、雨宮県の市場を乗っ取った謎の薬物。

 多くの裏の人間たちがそれに手を出していながら、決してその存在が知られることは無い。なぜなら、一度彼の「客」となった者は、もはやこの世には存在しないことになるからだ。


 神谷が「血」の摂取に言及した以上、「天使の粉」の件も恐らくわかっているのだろう。

 だが、途ケ吉はそこまで確かめる必要はない。

 どのみち、この男は殺す。

 自分の業務を妨害した時点で、そのことは決まっていた。


 ……だが、神谷とて答え合わせなどするつもりなどない。

「否定しないのか?さもないと私は現状、君を敵とみなさざるを得ない。過剰防衛で逮捕されたくはないのだけどね。」

 神谷はコートの胸元からエアガンのようなものを取り出す――これもまた、通常のエアガンを改造し、天使の力を使えるようにしたものだ。BB弾の代わりに、弾丸型の火球を発射する。密度を圧縮された高威力の火球は、本物の弾丸のごとく容易に人体を破壊する。

 使用者にその意思が無ければ発動しないため、銃刀法違反とみなされることはない……どちらかと言えば犯罪向けの仕様だ。


 ――まったく、こんな訳の分からんことをする羽目になるとは。

 神谷は心の中で嘆息し、銃を構えた。

「――そのまま動くな、手も動かすな……!妙な事も起こすなよ、攻撃とみなして撃つぞ。」

「……はぁ。全く。」

 途ケ吉はうんざりした。

 この男は、自分がそんなことを言える立場にあると思っているのか、と。

 大体、動くなと言ったところで、その後どうするつもりでいるのか。ただの人間に、途ケ吉を捕まえられるはずもない。


 途ケ吉は、言われた通り一ミリも動かなかった。

 

 それを見た神谷は、いきなり迷いなく発砲する。


 ――だが途ケ吉は、彼の不意打ちをもう予想済みだった。


 瞬きするほどの間に、彼は身を大きくひねる。

 神谷の視界では、初め途ケ吉が直立して見えていたのが、発砲を境にストロボ写真をめくったように、彼の上体が60度傾いた画像に切り替わったのだ。


 ――動きも化け物かよ!

 神谷はその瞬間に敗北を直感した――だがそれでも尚、躊躇なく弾丸を連射し追撃する。

 だが途ケ吉はそのすべてを、人間離れした動きで回避する。


 神谷は思わず後ずさる――その背後で、マンホールの蓋が浮き上がった。

 水が吹き上がる音を聞いて、神谷は振り返る。

「――なっ!?」


 神谷は知らなかった――途ケ吉人志の能力は、一つではないことを。

 彼こそは、彼のすべての眷属の力の原型を所持している主人であるということを。

 そして、この雨宮を循環する水を彼が支配する割合は、徐々に増えつつあるということを――


「君さ、僕のこと舐めてたでしょ――」

 あっけにとられる神谷を、途ケ吉が嘲笑う――だが彼は、背後からとびかかってきた男に組み伏せられる。

「――っ!?」

「――君こそ、油断しすぎだ!」

 その大柄な私服姿の男は、天愛教団の幹部の一人だった。

 悪魔との闘いに関わる一般人に、護衛をつけるのは当然の判断。

 途ケ吉もまた、教団に隠密行動をする能があると考えない、驕りがあった。

 だが、それも無理はない。彼が今まで認知した敵の戦力は、天愛烈怒ただ一人――自己顕示欲が強く、常に戦うことしか考えていない男だった。


 しかしそれでも途ケ吉に、己の判断を反省するという思考はありえない。

 なぜならどれほど計算外があろうと、彼が失敗することなどありえないのだから。

 途ケ吉の体はバシャリと音を立て、水に変化して拘束をすり抜けた。

 それと入れ替わるように、マンホールの中からあふれ出した水が空中に集まって、新たな途ケ吉人志を作り出す。

 よく目を凝らせば、その水は白い霧の粒子と入り混じっていた。

「――おいおい、その程度で僕を出し抜いたつもりでいるのかい?」

 途ケ吉は冷笑した。


 先ほどから、地面に薄く白い霧が埃のように這いまわっている――途ケ吉は、神谷の葉巻の煙を避けて体の一部を地面に撒き、再生成の用意をしていたのだ。

 彼の下半身は完全にはヒトの形を取らず、膝の上から白い霧となって定着した。

 それは爪先にかけて徐々に透明になっており、彼の体を宙に浮かせている。

 あたかも幽霊のような出で立ちだった。


「君たち、随分僕を虚仮にしてくれるねぇ……その分、覚悟しろよ?」

 途ケ吉は再び手のひらに水球を発生させる。

 その水の球がサッカーボール大になると、途ケ吉は手のひらを正面に向けた。

 水球が途端に、自らを高密度に押し縮め始める。


 神谷は身構えるが、その攻撃は彼の予想と全く異なる形態のものだった。


 限界まで圧縮された水球は、放射状に無数の細い刃へと分かれ、道を覆い尽くすように広がって飛んでいく。

 その間、わずか0.2秒。

 人間には放たれた攻撃の様態を視認することすらできない。

 実質、回避することは不可能だった。


 ――だがその瞬間、護衛の男が神谷の前に割って入り、攻撃を身代わりに受けた。

 本来であれば、彼の体は高水圧のウォータージェットにより、放射状に切り分けられているはずだった。

 だが、彼の「能力」がそれを許さない。

 水の刃は彼の体の正面に至る直前で崩壊し、無数の水滴となって飛び散る。


「……硬度が高いんじゃなくて、『防御』か。」

 途ケ吉は面倒そうに眉を顰める。

「そうだ。お前の攻撃は僕には通じない。」

「ハッ、だから何?」

 途ケ吉は全く動揺することなく、再び下水道から大量の水を噴出させる。

 水の奔流が男を襲うが、その全てが彼の体を避けるように弾かれていく。


 ――しかし、途ケ吉の狙いは直接の攻撃ではなかった。


 弾かれた水流は向きを変え、男を覆い囲むように渦を巻き始める。

「何っ!?」

 男がその意図に気づいた時はもう遅い。彼の全身は大きな水の球に閉じ込められていた。


 神谷は慌てて彼を援護しようと、再び二発続けて発砲する。しかし、そのいずれも      

が途ケ吉の体を素通りし、煙となって消えていく。今の彼の体はほとんど水と同質に

なっているらしい。


「クソッ!」

 神谷はもう逃げるしかないとわかっていた……だが、護衛の男を見捨てることは彼

の良心が許せない。

 神谷はただ、なすすべもなくその場に立ち尽くしていた。


 マンホールからはありえないほどの量の水が滾々と湧き出し続ける。

 あっという間に高さ3センチほどの、物理的な壁のない奇妙な水槽が立ち上がった。

 水球は地面につながった水流の足に押し上げられるように、男を空中に運んでいく。

 彼は四肢を動かしてもがくが、水をかき分けて脱出することは叶わない。彼の能力自体が水を押し遠ざけているからだ。

 その力にギリギリ拮抗するほどの絶妙な水圧で、水の塊は彼の自由を奪う。

 もし彼が能力を解除すれば、途ケ吉はその水を彼の肺の中に侵入させるつもりでいる。

 相手の能力の特質を利用して詰みに追い込む。途ケ吉にとっては造作もない攻略法だった。


 水流は徐々に天へと昇っていき、遂には10階建てほどの高度に達した。

「じゃあね。」

 途ケ吉がそう宣言し、右手を軽く外向きに振る。

 その動きに合わせて投げ飛ばされるかのように、水流ははるか遠くに伸びて、落ちていく。

「……さてと。」

 途ケ吉は、神谷に視線を戻した。今さらこちらに背を向けて、駆け出しているところだった。


「邪魔者もいなくなったことだしっ!」

 途ケ吉はわざと大声を出し、神谷を焦らせる。


 神谷は水に足を取られながらも、走る速度を上げようとする。


 ――まずい……まずいまずいまずい!!!


「ようやく二人きりで話せるねぇっ!?」

 途ケ吉のその言葉を合図に、地面に溜まっていた水が一気に集まり、神谷の体を包み込む。

「……あぁっ!!?ぐっ、ごぼっ……!」

 神谷はうつぶせに倒れこみ、ゼリー状の水でできたシーツの中で窒息する。


 葉巻の炎もかき消され、再び道路に霧が立ち昇り始める。


 神谷はバタバタと転がりながら、自分の口を塞ごうと両手を伸ばす。だが、その両手の周りにも水がまとわりついて離れない。


 水と酸欠でにじむ彼の視界の中で、地に足をつけた途ケ吉が歩み寄ってくる――


 意識が飛びかけたその時、突然水のシーツが取り払われる。


 神谷の喉の奥から大量の水が、気道を押し広げて無理やり脱出する。


「はぁっ……!げっ、げほっ、げ、ほぉっ……!」

 神谷は姿勢を起こすこともできず、仰向けのまませき込む。


「――まったく、まさか人間がここまでたどり着くなんてね……。『免疫』持ちとは言え、それがここまで功を奏するとは感心したよ。」

 途ケ吉は神谷の足元にしゃがみ込み、微笑みながら彼の苦しむ様を眺める。

「――君のその、傲慢さにもね。」

 その言葉と共に、彼の視線は冷たく残忍なものに変わる。

 だが、神谷はその言葉を聞いていない。

 ただ彼に背を向け、必死に地面を這いずっていた。


 ――逃げ、ない、と……!


「――おい、無視すんなよ。失礼な奴だなぁっ!」

 途ケ吉は声を上げながら右腕をふるった。

 

 その先端が一瞬、水の刃に変質する。

 

「っ……!!?があぁっ!!!」

 神谷は突然の激痛に呻いた。


 ――足元を見ると、彼の右足の膝から下が消えている。


「あああああぁぁぁ!!!あぁっ、ああぁ……!」


 どくどくと鮮血があふれ出す。

 

 想像を絶する痛みが脳を支配する。


 痛みに集中しても無意味だ、とにかく逃げなければ――理屈ではそう分かっているのに、体が言うことを聞いてくれない。


 駄目だった。どれだけ強い決意と理性をもってしても、「痛い」という危険信号に抗うことはできない。それは否応なく体を支配し、心を支配する。


 神谷は傷口の上を両手で押さえながらもんどりうった。

 その両手も震えが止まらない。

 痛みに加えて、更にどうしようもない恐怖が襲い掛かってくる。


 ――ない、あしが、ない。おれのあし、もうない。いやだ、だめこんなのだめ。ああだめだめだめ、できない。なにもできない。いたい、いたいよ。にげられない、ころされる、やだ、いたい、やだ……!


「全く、無様だなぁ……!さっきまであんなに粋がってたのに!人間は弱いねぇ、ほんとに。どうしようもなく弱くて愚かで、愛おしい……。」

 途ケ吉はわが子に語り掛けるように優しい声色でささやく。

 神谷はその笑顔を見て悟った。

 ――こいつは、自分のことをいたぶる気だ、と。

 過去に出会った猟奇殺人鬼と、同じような行動。

 あくまで殺すという目的は変わらないのに、ただ意味もなく被害者の痛みを長引かせる方法を取る。


「やめっ……やめ、ろぉっ……!」

「――だからこそぉっ!」

 神谷は不意に、今度は左腕を振り上げる。


「――っ!!あああぁぁっ…………!!」


「その惨めな生への執着が、魂を上質な味わいに変えるんだよねぇっ!」

 両足を失って立ち上がることもできなくなった神谷に対し、途ケ吉は独り言のように楽しそうに語りかける。


 神谷にはもはや、痛いという感覚も逃げたいという感情も意味をなしていなかった。

 体は過剰なアドレナリンに駆り立てられて無意味に痙攣し、失血で顔面は蒼白だった。

 そんな彼の様子には構わず、途ケ吉はぺらぺらとしゃべり続ける。


「ほんっとうに傲慢の極みだよ!君は本当に僕を裁けると思ってたのかい?人間が?天使を……?全く、誇大妄想にもほどがある!今まで50数年、『正義は勝つ』みたいなおめでたい世界観で生きてきたのかい?自分が推理小説の主人公だとでも思ってたのかい?ねえ!?」

 神谷は宙に右手を伸ばし、震える唇を動かす。だが、自分でも何を言い返したいのか、わかっていない。

「お…………ま、えは……。」

「聞こえないよっ。」

 三度の斬撃で、神谷の右手首から先が宙を舞う。

「…………!」


 相変わらずの激痛――だがそれはもはや、彼にとっては遠い世界のもののようだった。


 もはや彼の体内の血は、半分近く失われてしまっている。


 悪魔、天使、教団、事件、警察、洗脳――神谷の頭を駆け巡ったのは走馬灯ではなく、自分が死後にやり残した仕事に関わることだった。


……そして最後に、かつての同僚にして親友の顔が浮かんで消えた。


「いいね、その並外れた矜持……まあ、無意味だけど。」

 途ケ吉は神谷の上に馬乗りになり、光が消えつつある彼の瞳をのぞき込み、舌なめずりする。

 途ケ吉にとっては、「免疫持ち」を賞味するのは初めての体験だった。


 その貪婪で残忍な虹色の光が、神谷の薄れゆく意識の端を捉える。


「……それじゃあありがたく――いただきます。」

 

 ――頼む、みんな、気づいて、くれ……。




             …………それが、本当に最後だった。


 神谷は確かに、「自分」が体から引き離されていくのを感じていた。


 だが、それはそのまま無へと帰っていくことは無い。


 引き寄せられ、吸い込まれていく感覚が確かに続いていた――果てしなく偉大で、畏怖すべき何かへと。


 自分の意思が消える。


 途ケ吉も、冴島も、教団幹部も消える。


 自分の大怪我も消える。犯罪も消える。警察も消える。天使も消える。悪魔も消える。麻薬も消える。使命も消える。正義も消える。


 あらゆる意味が溶けてなくなっていく――




 天使の腹の中――永遠の、闇の楽園へと。




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