第3話 僕は知ってる
本日2話目の投稿になります。
「――おっ!!やったか……!?」
叶多の耳元で、誰かが声を上げる。
「叶多っ……聞こえてる?」
反対側から、懐かしい声が聞こえる。
叶多はそちらにぼんやりと視線を向ける。
「……僕のこと、わかる?」
彼は椅子から腰を浮かし、警戒交じりに言った。
「…………つか、さ……?」
「……そうだよ……僕のこと、どう思う?」
「え?どう、って……。」
唐突な質問だった。……恋愛的な意味だろうか。
と言うか、ここはどこなのか、どうして自分はここにいるのか――何も、わからない。
「……僕のこと、殺したいって思う?」
「…………は?何、言ってるの……?」
叶多には意味が分からなかった。
だが司はその答えを聞いて顔をほころばせ、そうかと思えば突然涙を流した。
一方、もう一人の男は安堵の声を上げる。
「……うまくいったみてぇだな。」
「…………っ!……よかっ、た、ほんとに……!」
そう言いながら司は叶多の上体に覆いかぶさり、その場に崩れ落ちる。
「……えっ!?ちょ、え、ちょっと……司!?なんで、え……どう、何、大丈夫っ!?」
叶多の心臓が跳ねた。その感情はきちんと現実感があって、意味が感じられるものだった。
改めて自分の状況を確認すると、ベッドではなく何やら硬い手術台のようなものの上に寝ていたことが分かった。しかも、体は黒いベルトで動きを封じられている。
――何、これ……。
「……司、どいてやれ。」
「あ……ごめん、つい……。」
「ああ、拘束は今解いてやる。……司は大丈夫だ。って言うかむしろ、お前が大丈夫じゃなかったから司は心配してたんだ。」
叶多の困惑した視線に対し、司の反対側に立つ白装束の男が言った。
「……え?」
「ほら、司のこれは、昏睡状態の奴が奇跡的に目を覚ました時の反応だよ。わかるだろ?」
「…………私が?なんで……。」
男は叶多の独り言には答えず、手慣れた動きで拘束具を解除する。
叶多は司に支えられて背を起こしながら、こうなった経緯を思い出そうとした。
……だが、その代わりによみがえってきたのは、まったく関係のない、意味の分からない記憶。
――なんか……すごく変なことが、あった。
というか私自身も、なんだか、おかしかった。
それから、結人先輩、も……何か、おかし――
……おか、しい。
「…………ねえ、司。……昨日のあれ、何?」
「……昨日?」
「あれ、結人先輩の……背中からなんか、生えてたよね?……ていうか。」
叶多は司の両腕を見た―そして初めて、その傷跡に気づく。
「……っ!やっぱり、え……なん、で?え?何……私、なんか……。」
どの疑問を口にしていいのか、わからない。
「細かい話はあとでするけど……要するに、お前の彼氏は悪党だった。で、お前にクスリを盛って洗脳してた。お前らが参加したパーティーは悪党共の集会。そこに俺たちが悪党退治に来たから園安は逃げようとして、司はそれを止めようとして攻撃された。で、お前がそれを見て面白がってたのはラリってたから……ああ、ちなみに昨日じゃなくて、二か月前のことな。そのあいだ俺らに拘束されてた。覚えてるか?」
白装束は彼女の疑問を全て整理し、さばさばと答えた。
――以上、って……何、それ。
先輩が「悪党」って何?「攻撃」って何?「洗脳」って何?
どれもこれも、常識的にも感情的にも受け入れられないことばかりだった。
……だが自分の記憶が、そのすべてが事実だということを語っていた。
なにより叶多自身が、その証明だった。
いつの間にか、性格が変わっていた自分、二十四時間結人のことしか考えられなくなっていた自分、急に性欲過多になった自分、友達も親も視界に入らなかった自分、司のことを本気で殺そうと思った自分、結人先輩の「変身」を綺麗だと思った自分、司が痛めつけられるのを見て、興奮して喜んでいた自分―
「――うっ。」
叶多は吐き気がこみあげてきて、口を抑える。
「大丈夫!?」
司は彼女の背中に手を添えた。
叶多は嗚咽交じりに荒い呼吸を繰り返す。
司はその背中をゆっくりとさすりながら「大丈夫、もう大丈夫だから」と繰り返した。
「司っ……わた、しっ、……司の、こと……ごめん……ごめんなさい……!」
「気にしないで。叶多のせいじゃない。……大丈夫だよ。ほら、もう怪我は治ったし。」
叶多は過呼吸のせいで眩暈を起こしていた。バランスを崩した頭が、司の胸に倒れ掛かる。司はそのまま彼女を腕の中に抱き止めた。
「大丈夫。僕は生きてるよ。叶多も生きてる。一緒だよ……。」
そんな慰めの言葉を口にしながらも、司も腕が震え始めた。
「……ほんとに、良かった……元に戻れて……戻らなかったら、もう…………。」
司はその先を言うことができなかった。
もし、元に戻らなかったら―彼女があのまま暴れ続け、爪や歯を使ってでも自分たちを殺そうと試み続けるようであったら――
……最悪、殺すしかなかった、と。
「ごめん……助けに行くのが遅れて……叶多の様子がおかしいのは、わかってたけど……悪魔と関係あるなんて、思わなくて……あいつも、普通に先輩として接してて、気づかなくて……僕の、せいだ。」
その言葉を聞いて、叶多は改めて認識した。園安結人は……化け物だったのだ、と。
そのもっともおぞましい事実を、認めざるを、えなかった。
彼は運命の人などでは、無かったのだ。
もう、自分が愛した園安結人は、いない。……否、そんなものは、端から存在しなかった。
嗚咽が止まらなかった。もはや泣いているのではなく、瀕死の状態で必死に酸素を取り込もうとしているかのようだった。何度も咳込んだ。
それでも司のぬくもりに、何とか意識を引き戻される。だがまたすぐに、感情の波が襲ってくる。
感情がぐちゃぐちゃに混ざりすぎて、なにがなんだかわからない。それでも、頭は考えるのをやめてくれない。
やがて叶多は、聞かれたわけでもないのに語りだす
「……好きだった、の。洗脳じゃ、無くて……ほんとにっ、先輩のこと、好きだった、のに……なんで、なんでぇっ……!」
彼は、叶多の気持ちが信じられなかったのだろうか。
というより、今まで伝えようとしてきた自分の恋心など、彼は全く見ていなかったのだろうか。
ただ、自分に都合の良い傀儡が欲しかっただけなのか―
そして逆に自分も、彼の正しい姿を見ることができていなかったのだろか。
自分が見ていたと思っていた彼の心は、ただの幻想で。
その美しい装いを剥いでみれば、その下にいるのはただの、おぞましく、赤黒い化け物―
お互いに一方通行の、偽物の恋だったというのか。
「……記憶の中のっ、先輩のことはっ、大好きなのに……あの時も、好きって、思いこんでたのにぃっ……!今は恐い……恐い、だけっ、でっ……!!」
震えが止まらない。
結人のことを考えると、さっきの夢の中の黒い影が、寒気と共に体を這い上ってくる気がする。
自分が、自分のものではなくなっていく気がする。
叶多はその悪寒をぬぐい取るように、代わりに司の体温をしみこませようとするように、司にしがみつく。
ぎゅうっ、と。体と心を浸すように。
「何、でぇっ……!なんでぇ……!私、何が悪かったの……?なんで、私……ずっと、頑張ってたのに……!精一杯、恋してたのに……!」
悔しかった。恐怖や苦痛や嘆きと同じくらい、屈辱だった。
許せない。絶対に許せない。
嫌いになった。大嫌いだ。もう好きになんて、なれない……。
でも、記憶の中には、好きだったという事実は永遠に残る。
過去の感情が恋しい。
だからこそ、もうそこには戻れないという絶望が、怒りを上回ってしまう。
「……叶多は悪くない。ずっと頑張ってたよね。知ってるよ……。ずっと見てたから。」
司は叶多の頭をなでながら言った。
「精一杯、恋してたのに」――彼女がこんな風に、他人に自分の感情を語ることなど、もうないと思っていた。
彼女は中学生になった頃、よく言っていた。『大人にならないと』、と。
そのころから、感情を言葉で表すことが無くなった。
少女漫画のこともディズニーのことも、全く話題に出さなくなった。
そして司と別れてからは、ますます何事にも冷めた態度を取るようになり始めた。何にも期待してはならない、と思っているかのように。
……特に、自分に対して。
自分の、努力に対して。
司は、そのことを知っている。
「……中学の時のこと、ごめん。叶多はあの時もずっと、頑張ってたよね……僕にひどいこと、されても……今もそうだよ。それでも、叶多は頑張ってる。」
だから何、とは言わなかった。自分でも、何を言おうとしているのかわかっていなかった。
ただただ、目の前のこの人間の命が、愛おしかった。
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十分ほどそうしていて、叶多はようやく落ち着いて来た。
「……守ってあげられなくて、ごめん。約束、したのに……今度は、ちゃんと守るから。」
「……司。」
その言葉の具体的な意味など、叶多にとってはどうでもよかった。
それがただの義務感によるものでも何でも、ただ、司が傍にいてくれると言うだけで……否、今の彼女には、もうそのことに縋るしかなかった。
そんな二人の様子を壁際で見ていた男は、気まずそう目を逸らし、ため息をついた。
――そうだよな。守ってやらねえと……。
彼女のことを家族友人が思い出すかどうか、わからない。
もしかしたらこのまま、自分たちが保護し続けなくてはならないかもしれない。
……それにまだ、敵が彼女のことをあきらめたとは限らないのだ。
おかえりなさい、愛本叶多。




