<幕間>~途ケ吉人志の業務日誌①~
本日2話目です。
過ぎし9月のある日。
とっくに日も沈み、暗くなった裏路地に、二人の対照的な男が立っていた。
一人は清潔な純白のコートを着て、まっすぐに凛々しく立っている青年。もうひとりは摩耗した汚らしい上着をまとい、太った醜い体を辛うじて支えている中年の男。
「頼むよ!いくらでも貸してくれる約束だろ!返済は俺が死ぬまででいいって…
…。」
汚らしい男――川上葵はあえぐように言った。
「いや確かに、いくらでもお貸しするとは言いましたけど、あくまで先行投資ですよ?それに見合う成長が見られないようなら……しょうがないですよねぇ?」
そう言って途ケ吉は、あざけるような笑みを浮かべる。
川上は食いつくように言い返す。
「……はあぁ!?先月の俺の営業成績見てねえのかよ!?八件だぞ!八件!これ以上どうしろって言うんだよ!」
「それくらい、同じ位階の人はみんなやってますよ。そう言う問題じゃないんですって……向上心ですよ!こぉじょおしん!」
途ケ吉は大げさに片手を広げながら言う。
「だ、だって、これ以上なんて、そんな……しょうがねぇだろ!俺だって十分努力してるだろうが!十分だろ!なあ!」
「――ハッ、勝手なことを……。」
途ケ吉は突然、慇懃な口調を崩す。
「何が『努力』か決めるのは『上』の人たちですよ。あなたの主観なんて聞いてない。」
「だからっ!しょうがねえっつってんだろ!これ以上!」
川上はあくまで主張を崩さない。
その後も彼は不平をあげつらい、訴えつづけた。
途ケ吉はしばらく黙って聞いていたが、やがてうんざりと言った様子で口を開いた。
「…………あのね、川上さん。悪いけど今は労働条件について話し合う時じゃないんですよ。て言うかもう、そんな必要はない。」
「はあっ!?何っ――」
「――今日私がここに来たのは、あなたの『奈落』行きが決まったことを伝えるためです。」
途ケ吉は川上の声をさえぎって言い放った。
「…………は?」
それを聞いた川上は突然、下から頼む姿勢を崩す。
「……何だって!?今なんて言った……!?じょ、冗談じゃねえ、なんで急に!」
「伝えるのが急ですいませんねぇ……予定が早まってしまって。」
途ケ吉は厭味ったらしく顔を斜め上に傾ける。
川上は彼の胸ぐらをつかみ、悲痛な声で訴えかけた。
「ど、どういうことだよ……!?てめえふざけんな!ここに来てっ!なんで急になんだよ!お、俺を馬鹿にしてんのか……?」
「そう。僕は君を馬鹿にしてるんだ。よくわかったね!ハハッ!」
途ケ吉は、笑みを崩さないままそう答えた。
「なっ……!?」
男は予想もしなかった答えに絶句する。
「僕はね、君が既にどれだけ追い詰められた状況かも知ってる。僕達以外にも昔のつてで、危ない方面に金を借りまくってるのも知ってるよ。それでその金を全部酒と賭け事で溶かしてるってこともね!」
途ケ吉は丁寧な口調も捨てて、煽るように言う。
「て、てめえぇぇ…………!!」
男は途ケ吉を突き飛ばす。
地面に勢いよく倒れた彼は、ヘラヘラと笑いながら上体を起こした。
「痛いなあもう……そんなに怒っても意味ないでしょう。もう一巻の終わりなんだから、あきらめましょうよぉ。アハハッ……!」
「こっの……!ふざけんな!」
更なる挑発を受けて、男は我慢できずに拳をふるった。
顔を殴られた衝撃で横を向く途ケ吉。
しかし、くるりと向き直ったその顔は傷一つなく、例の笑顔を貼り付けたままだった。
「――俺がっ!俺が何したって言うんだよ!このっ……!この裏切もんがぁっ……!」
「裏切者?ひどいなあ……僕が何か悪いことしたぁ?仕事も与えてやったし、あんなにたくさんお金を貸して、精いっぱい友情を示したつもりだったのに。」
途ケ吉は男にぐいっと顔を近づける。
「――ていうかさ、『俺が何をした』って、心当たりはあるよねぇ?……君は『聖餐』を毎回欠席してるだろ?――戒律違反だ。」
「…………それは。」
川上の勢いが一瞬弱まる。心当たりがない訳ではなかった……しかしまさか、そんな些細な違反で地下送りになるなど、思ってもいなかったのだ。
「ひどいじゃないか。僕たちの絆の証をないがしろにするなんて……それこそ裏切りだ。傷ついたなぁ。」
「ち、ちがうんだ。聞いてくれ、俺は――」
「『あんなもの、飲めるわけないだろ』だって?」
「…………っ!」
「……田辺から聞いたんだな。もうバレてんだよ……。」
途ケ吉の顔から表情が消えた。
「そう言えば君たち、昔仲良かったもんね……ああ、彼はもう殺されちゃったけど。いやぁ悲しいなぁ。同時に二人に裏切られるなんて――しかも二人ともお別れだなんてぇ!悲しすぎる!アッハハハハ!」
途ケ吉は心底愉快そうに嘆いてみせた。
「――――――――っ!た、頼むぅっ!助けてくれ!」
おびえ切った川上は、泣きながら叫んだ。
「悪かった!俺が、俺が悪かったって!……な、なんでもする!なんでもするから!」
それを見た途ケ吉はますます上機嫌になる。
「おいおい、泣いてんのかよ。ハハハッ、あんなに強がってたのに、ええ?」
「な、なあ――」
「やれやれ、君の気持ちはよくわかったよ――」
途ケ吉はうんうんとうなずいてみせる。
そして、少し間をおいて期待させてから――
「――――でも決定は覆らない。」
――再び川上を、絶望の淵に突き落とす。
「………………ぐっ……ぐぅっ……!」
打ちのめされた彼は地面に伏して、こぶしをたたきつけ始めた。
「俺がっ……俺が、悪いってのかっ…………なんでっ……なんでなんだよぉ、クソぉ!……!!!」
途ケ吉は嘲笑することにも飽きたらしく、ただ無感動にその醜態を見つめる。
「なんで、なんでこんなクソなんだよ……っ!何で、こんなゴミみたいな生活でっ、兄貴たちにも裏切られて、こんなわけわかんねえことに巻き込まれて、金も無くなって……終いには地下送りかよ!」
途ケ吉は何も言わない。
川上は顔を上げて、縋りつくように叫ぶ。
「……こんなのありかよ!なあ!?何なんだよこの人生!俺が、なにしたって言うんだよ……俺の人生なのに、俺が幸せになっちゃいけねえってのかよぉ!」
「うん、駄目だけど?」
途ケ吉は言い放つ。
そして膝をかがめて、絶句している男の目をのぞき込む。
「駄目に決まってるでしょぉ?君に幸福を得る資格なんてない。『自分の人生なのに』ってなんだよ当たり前だろ。この世に不幸な人生がいくつあると思ってるんだよあぁ? 幸福になれる人間なんてほんの一握りだって、知ってるだろ?……あんたはそれに選ばれなかったって、そ・れ・だ・け。天の乱数表はちゃんと平等に機能してるよ。」
「なっ…………じゃあ、なんだっていうんだよ……!なんのためにいきてるんだよっ!おれはあぁっ!」
男は途ケ吉に泣きついた。自らを破滅させようとしている張本人に向かって。
「そんなの、何の意味もないに決まってるじゃん――あんたが生きている価値なんてない。」
そのあまりの言い様に、男はプライドが傷つくよりも、もはや恐怖を覚えた。
――なんだ?なんなんだ、こいつは?
「あはっ、その顔……!最高だねぇ!いやあ実に愉快だ……これならまあ、多少は投資した甲斐があったかもなぁ。」
その言葉を聞いた川上の頭を、一つのバカげた考えがよぎる。
この男はずっと、自分を破滅させて、嘲笑いたかったのか?最初から自分に期待などしていない素振りだったのは……そういうことなのか?この瞬間を、五年間も待っていたのか?
「――ああそうだ。敢えて人間の視点で君の不遇に理由をつけることもできる。簡単なことさ――働かざるもの食うべからず、てね。いや、食うどころか生きることさえ許されない。それがこの社会の真理さ。あんたは社会に求められる義務を放棄したんだ、何の権利も与えられるべきじゃない。」
「は、働かざる……?冗談じゃねえ!俺は、俺はっ!一生懸命働いた……!努力、したんだ……なのに、なんでそんなこと言われなきゃいけねえんだよ……!」
男はすすり泣きながらみじめに嘆く。
「ああ、じゃあその努力とか言うのが不十分だったのさ。それに、この仕事は元々法律の埒外だ。社会的に認められる努力じゃない。だから他人にご褒美なんて要求してないで、ちゃんと実力でのし上がって――」
「ああああぁあぁぁ!!!黙れぇ!」
男は体を半分起こして、途ケ吉に向かって半狂乱に両腕を振る。もはや殴ろうとしているようにも見えなかった。
「もう、うんざりなんだよ!どいつもこいつも、義務だの法律だの!くそくらえ!俺のせいじゃねえ、悪いのはお前らだろうが!権利を与えるだって!?何様のつもりだ!俺が楽しく生きる権利は俺だけのものだ!なのに!いつもそれを奪っていきやがる!」
途ケ吉は身を引いて押し黙る。
「――俺ばっかり見下されて、軽く扱われて!どこ行って同じだった!稼いだ金さえ毎日不細工なメスとガキの飯に変わっちまう!その上俺がなけなしの贅沢をしよう ってのに、自分たちの生活のために金をよこせと喚きやがる!人の金で生かしてもらってるくせに、偉そうに!」
自分勝手な理屈を叫び散らして地を這う男。
「どいつもこいつもっ!俺の敵ばっかりだ!」
「……へぇ、君は家族も愛してないの?」
「あ!?ああ、そうだよ、愛してなんかねえよ!……なんだよ、それも義務だとか言うつもりか!?……知ったことか!家族なんかじゃねえ、あいつらも俺の敵だ!」
「『敵』かぁ……そんなに嫌いなんだぁ?」
「ああ、嫌いだ、大嫌いだよ。いっそ殺してやりてえ!」
「――でも、それもやっぱり社会のルールが許してくれないんだよねぇ……可哀想に。」
「はあ?」
川上はもはや純粋に困惑した。この男は自分にこんな仕打ちをしておいて、道徳を説くつもりなのだろうか。
「君は自分しか愛せない人間だ。でも、純粋に自分のために生きるには、この世界ではあまりにも障害が多すぎる。それは社会だ。それは法律だ。この世のすべての人間が――君の敵だ。」
「…………ああ、そうだよ。」
――なのに、俺はそいつらを――お前らを、倒せない……!
「だから結局、君がそれなりに楽しく生きてきたつもりでも、それはただの妥協の連続だった。」
――そうだ、俺は今まで、何も満足に望みをかなえられたことなんてなかった。
「……もういい!もういいだろ!もう俺にかまうんじゃねえこの気ちがい野郎!」
川上はやけになって答える。
もうどうせ破滅だ、もうじき自分は消される――何もかもがどうでも良い。そう思いながら。
……だが、途ケ吉は、
「――ようやく、『悟った』みたいだね。」
と、突然親しみのあふれる笑顔に顔に戻った。
「自分がいかに弱いかを――自分がいかに、低レベルで純度の低い『欲』にとらわれているかを自覚した。それが悟りの第一段階だ。」
「はぁ……?」
「つまり、あなたにはまだ活躍のチャンスがあるってことですよ。」
「…………ほ、本当か!?」
彼は一瞬、自分の耳を疑った。
「ええ。川上さん――川上葵さん。あなたは、自由と力が欲しいですか――この敵だらけの世界からの、自由が。」
川上は言われるがままにうなずく。
「素晴らしい。では、僕があなたを助けてあげましょう。」
途ケ吉は川上の手を取った――そしてもう片方の手には、おもむろに小さな噴霧器を掲げる。
……次の瞬間、川上の視界は真っ白になった。
「!!?」
強烈なめまいに倒れこんだところに、途ケ吉が顔を勢いよく押さえつけてくる。
「があっ……!」
続けて、左腕に鋭い痛みを感じる。
――なんだ、なにをされた!?
途ケ吉は、容赦なく注射器のシリンジを押し込む。
赤紫色の液体が、川上の血管に吸い込まれていく。
「ん、んぐぅ!んぅ~うっ!!!」
巨漢の男がいくら抵抗しても、細身の途ケ吉の手をどけることはおろか、起き上がることすらできない。彼は、見た目からは想像がつかないほど力が強かった。
だがそれだけでなく、次第に川上自身の力が別の理由で弱まってきていた。
「――さあ、僕の目を、見て。」
抵抗する力を失った川上は、彼の言いなりになってしまう。
すると突然、すべてがその目の中に吸い込まれ始めた。
自分の体の大きさがなくなる――いや、無限に広がっていく。
軽くなる。
何か――虹のようなものが見える。
何もかもが輝きだす。
呼吸が安らかになる。
地面からどんどん離れていく。
楽しい。
心地よい。
途ケ吉の声が、四方から反響して響く。
魂の奥底に刻み込まれる。
湧き上がってくる、強い思い。
――欲しい、力が欲しい……!
「――そう、あなたには力を求める権利がある。自由に生きる力だ。それさえあれば、どこまでも、飛んで行けるんです……!」
――そうだ、俺は何でもできる。
「どんな敵だって、怖くない。」
――そうだ、俺は誰にも負けない。
俺は、俺の自由を取り返すんだ……!
自由……!力……!
欲しい、欲しい、欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しいホシイホシイ…………!
「『我が血の下部よ、我が安寧の為、その身を慎んで事を為せ』――――隠蔽結界『霧隠れ』。」
ぼこぼこと異音を立てて変化する川上の体から、白い霧が噴き出してくる。
それはあっという間に広がり、町内を埋め尽くしていく。
途ケ吉はそれを見届けると、黙ってその場を立ち去った。
…………次に目を覚ました時、川上は全く新しい自分に生まれ変わっていた。
字数が、本編より多い……。




