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ききょうくんとなずなさん  作者: Nas
二年生の頃のお話(後)
95/161

95輪目 ロウバイー慈しみー

「萩くんってさ、ほんと器用だよね」


 よく晴れた二月の上旬。いつものように屋上でお弁当を広げた僕の手元を覗き込んだ芹さんは言った。


「え……そ、そうかな?」

「うん、だってさ、この半年? くらいでお弁当がめちゃくちゃ洗礼された気がする」

「確かに、最近は凝ってるの作ること多いかも……」


 ちなみに、今日のお弁当のラインナップは枝豆入りの玉子焼きに、ほうれん草とベーコンの炒め物と、それからメインは肉じゃが。肉じゃがは作り置きの余り物を詰めてきただけだけれど。


「あたしは煮物なんか作れないよ……」

「思ってるよりも簡単だよ。切って煮るだけだし、作り置きできるから」

「料理できる人はみんな簡単って言うんだよ。ていうかさ、朝から思ってたけど、ちょっと鼻声じゃない? 風邪?」

「あー。そう、かも」


 そう答えてから鼻を啜ると「かも、じゃなくてそうなんだよ」と至極真っ当な意見が飛んでくる。


「今日は早めに戻ろっか」

「うん……ごめん……」

「別に謝らなくていいのに」


 再びごめんと言いかけて、噤む。


「あのさー……萩くんの家ってさぁ……」

「え、なに?」

「お母さんって料理しない人なのかなって……」


 芹さんの疑問は極々自然なものだろう。仮に僕が芹さんの立場でも、その疑問は浮かぶだろう。


「あー……えっと……」


 一年、二年。いや、それよりももう少し前の食卓を思い出す。

 母親が手作りしていた時期も確かにあったことは覚えている。


「最近はあまりしないけど……昔はしてたよ。僕がまだちっちゃい時とかは」

「そっか。なんか変なこと聞いてごめんね」

「ううん、別に大丈夫」


 母親の得意料理は何だっただろう──少し考えて、ふとひとつの思い出が蘇る。あれは確か、小学生の時、初めてインフルエンザに罹った時だ──。


「萩くん? 大丈夫?」

「あっ、ごめん。ちょっと考えごとしてたみたい」

「そろそろ教室帰る?」

「うん」


 いつもよりも少し早い時間だけれど、教室に戻る。幸いにも今日は体育はない日だ。残りの二時間、座学を終えて、放課後は芹さんと駅まで向かう。


「じゃあまた明日ね。お大事に」

「芹さんありがとう。うん、また明日」


 後はもう帰るだけ──と言いたいところだけれど、これからバイトの予定が入っている。週の真ん中、水曜日だからそんなに忙しいことはないだろう。



「おはようございます」

「おう、おはようさん」


 バイト先につき、料理長に声をかける。挨拶を返してくれた料理長は、椅子に座ったまま怪訝な顔で僕を見上げた。


「風邪か?」

「そうかもしれないです」

「そうかも、ちゃうくてそうやろ」


 ぴしゃり、とそう言い放った料理長。数時間前にも聞いたフレーズだ、と僕は少し笑う。


「でも全然動けるんで、熱もないですし」

「そうか? ならまあええわ。まあ無理すんなよ」

「はい」


 コック服に着替えて、出勤前の諸々のルーティンを済ませる。十七時から二十一時までの約四時間。思った通りあまり忙しくなかったことに安堵し、着替えて外に出る。冬の夜特有の寒さに震えながら、駅までの道を急いだ。

 バイト先の最寄駅の改札を抜けてホームに向かってからスマホの通知を確認すると、芹さんから一通の連絡が入っていた。


『具合はどう?』

『大丈夫。いまバイト終わったところ』


 返信して、ポケットに仕舞うとすぐに次のメッセージが届く。スマホを取り出したところでちょうどホームに着いた電車に乗り込んだ。


『芹さんいま何してるの?』

『布団のうえでごろごろしてる。そっちは?』

『いま電車に乗ったとこ』


 静かに淡々と続くやり取り。なんてことないメッセージに、自然と口元が緩むのを感じる。

 五分程で、一駅先の自宅の最寄駅に到着すると、僕はポケットにスマホを仕舞う。悲しいかな、歩きスマホが出来ないのだ。

 駅から二十分程歩いたアパートへ帰ると、そこに人の気配はなく、冷え切った空気が僕を出迎えた。

 何となく身体が怠くて、早く寝た方がいいかもしれないと思い、シャワーを浴びるために浴室へ向かう。

 脱衣室もすっかり冷え切っていて、申し訳程度に置かれた電気ストーブを付けて少し待つ。適度に暖まったところで、簡単に済ませてからすぐに布団にもぐる。

 いつもよりも大きく聞こえる秒針の音が気になってなかなか寝付くことが出来ない。そういえば、連絡が来ていたかもしれない──スマホを手繰り寄せて、通知を確認する。


『早く帰ってあったかくして寝なよ』


 まるで母親のような言葉に、思わず笑みが漏れる。ありがとう、とだけ返して、また目を瞑る。

 数十分、いや、数分だろうか。ようやく訪れた睡魔に身を預けてそのまま眠りにつく。


 翌朝、僕は母親の声で目を覚ました。


「ちょっと、学校遅刻するわよ!」

「んん……いま何時……?」


 母親に布団を捲られて、身震いしてから起き上がる。昨日の夜に感じていた身体の怠さはますます強く、起きているのがしんどいくらいに全身が重たい。


「……あんた、熱あるんじゃない?」

「うん、そうかも……」

「はあ、じゃあ学校に電話しておくから」

「うん……」


 僕に掛け布団を返して、出ていこうとする母親に思わず声をかける。


「あのさ」

「なに?」


 扉の前で立ち止まり、振り返った母親に、さて、なんと言ったものか。


「……いや、何でも、ない」

「そう? 病院は行く?」

「ううん、熱だけだし、多分行かなくて平気……」

「わかったわ」


 ばたん、と扉が閉じるのを見届けて、捲られたせいで熱の逃げた布団にくるまる。そうだ、芹さんには連絡しておかないと……そう思いながらも、瞼が閉じる方が早かった。いつの間にか眠りについた僕が目を開けた時、時間は正午を指していて、部屋の中はいつもよりもほんのりと暖かかった。

 朝よりは熱も下がった気がする、と思いながら起き上がって、部屋を見渡す。脱衣所に置かれていた電気ストーブが移動されて、僕の部屋を暖めていた。そして、机の上にはコップとまだ封の切られていないスポーツドリンク、それから体温計が置かれている。布団の上にも毛布が追加されていた。僕が寝たあとで母親が持ってきてくれたのだろう。

 熱があっても、食欲はあるらしい。何か食べるものはないだろうかと思い台所に向かうと、リビングにあるダイニングテーブルに突っ伏すような形で寝ている母親がいた。


「お母さん? 何でこんなところで寝てるの?」


 軽く肩を叩いて起こす。しまった、夜勤明けだからまだ寝ていたいはずだよねと思う頃にはもうすでに遅い。薄らと目を覚ました母親と目が合った。


「……熱は?」


 伸びをしながらそう問いかける母親に「まだ測ってない」と素直に答える。


「部屋に置いといたのに? ご飯食べるんでしょ? 温めてくるから、その間に測ってきて」

「わかった」


 言われた通りに部屋に戻り、体温計を挟む。枕元に置かれたままの携帯を確認すると、朝一と、ついさっき芹さんから連絡が来ていた。当たり障りのない労るメッセージに、なんと返信しようかと迷っていると、体温計が電子音を鳴らして測定の終了を知らせる。


『いまはそんなに熱ないから、明日は学校に行けると思うよ』

『じゃあよかった。今日のノート授業被ってるのは見せてあげるね』

『助かる!』


 キリのいいところでスマホを切って、再びリビングに向かう。ふわりと漂ういい香りにつられて、お腹の虫が鳴いた。

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