80輪目 クロッサンドラー仲良しー
「あれぇ、萩くん?」
「ん? なに?」
十二月を迎えた僕達は、教室でお昼を食べることが多くなっていた……と思いきや、なんだかんだと登校日の半分ほどは屋上で過ごしていた。
そんないつもの日常の中で、僕の手の中にあるお弁当を覗き込みながら芹さんは、とあるひとつの質問を投げかけたのだった。
「なんか今日、お昼ごはん少なくない?」
「えっ? いや……そんなことない、よ?」
「あー、今の狼狽えかたは何か隠してるやつ」
「うっ」
芹さんの抱いたお昼ごはん少なくないか、という疑問。ちなみにそれは、偶然でも何でもなく、意図したことなので事実である。ほぼ毎日一緒のようにご飯を食べていると、そんなちょっとしたことにも気がつく、らしい……。
「いや……朝さ? 制服着るじゃん」
「うん? うん」
「で、まあ男子はベルトするじゃん」
「うん」
「それでね、いつもの穴にさ、通した時にさ……なんか、あれ? みたいな……」
「あー……太ったかも、ってこと?」
僕の抽象的な説明を、ストレートに返してくるのは実に彼女らしい。
「まあ、そんなところ……」
「えー? でもわかんないよ、そんな……ていうか元々ほっそいし、ちょっとくらい太ったほうがいいんじゃないの」
そう言いながら芹さんが手を伸ばした先は、僕のお腹。小さな手がそっと撫でる感触は、くすぐったいやら、なんやら。
「ちょっ、と、芹さん? あまり触られると……」
「あ、ごめん」
パッと手を離した芹さんは、少しばかり考えてから、何かを閃いたらしい。
「ダイエットなら、詳しい人知ってるかも」
「それで来たんだ?」
「うん。苺花、いつも何かしらのダイエットしてるよね?」
「言い方! デリカシーの無さ!」
ケラケラと笑った志木さんは「ちなみに今は玉ねぎヨーグルトダイエット中!」そう教えてくれた。
「玉ねぎヨーグルトダイエット?」
「あっ、彼氏さん興味ある? 玉ねぎ薄切りにして、ヨーグルトに漬けて一晩置いてから食べるの」
「……美味しいの?」
「美味しくはないかな! だからもう辞める〜」
そう言って志木さんはまた笑う。
ダイエットに詳しい人を知っている──そう言った芹さんが来たのは、志木さんのいるクラスだった。
入口付近で話すこと約五分。ようやく本題に入る。
「んで? 誰がダイエットしたいって?」
「萩くんが」
「えー! 彼氏さん、それ以上痩せたらなくなっちゃうよー! ていうかさぁ!」
そう言うなり志木さんは、僕の隣に立っていた芹さんを引き寄せ、更に続けた。
「いるじゃん! ここに! 細い子が!」
「あたし?」
「うん、だってさぁ、こないだ修学旅行の時にお風呂で見たけどさ……」
「それ以上は! ダメ!」
芹さんは、素早い動きで志木さんの口を押さえて僕の方に振り返って言った。
「はい、今のは全部忘れてください」
「忘れるもなにも……」
「いいからっ」
「はい」
芹さんの剣幕に押されて思わず肯定する僕。今のは全部忘れて、と言われても特に重要なワードはなかったはず……と思い返して、引っかかるひとつのワード。お風呂で見た、うん、これは脳から消し去っておいたほうがいい。
「でもさ〜なずなはご飯めちゃくちゃ食べるけどあんまり肉ついてる感じしないよね」
「え? なに? 貧相だねって言いたいの?」
「いやいや、そんな事思ってなんかないよ」
ふい、と目を逸らした志木さんの横顔は笑いを堪えていた。女子同士の話の中に放り込まれた僕は、居心地の悪さしか感じないのだけれど。
「あたし食べるの好きだし運動も嫌いだから特にこれと言ってなんもやってないけど……」
「えー? でも筋トレくらいはしてるんでしょ?」
「うーん? あー……家でね、毎日寝る前に腹筋と背筋やって、時々バーピージャンプとか、動画サイトで調べてストレッチしてる。これを運動にカウントしていいならね」
「なんもやってないっていう子に限ってちゃんとやってるよね〜」
うんうん、と頷く志木さんに、僕も同意する。
「僕もなにかやろうかな」
「あ、じゃあ苺花も筋トレしようかな? なんだっけ? バーピージャンプ?」
志木さんのスマホでバーピージャンプのやり方を調べていると、また一人僕達の輪に加わった。
「みんな揃って何してるん?」
「あっ本職きた」
「ほんとだー! 本職!」
芹さんの即席の呼び名を真似て、手を振った志木さん。その先にいるのは、運動の神に愛された男、藪沢くん。
「ほ、本職?」
「そーそー、今ね、みんなで筋トレしようかって言ってて」
志木さんの説明に、そんな話だったっけ、と首を傾げる。噂話って、こうして歪んで広がっていくんだな、とすらも思った。
「筋トレ? なんで?」
「なんか、なずながやってるって言ってたから」
「……そんな話だったっけ?」
僕と同じように首を傾げて芹さんは不思議そうな顔をする。一瞬の間を置いて言葉を発したのは、志木さんだった。
「藪沢くんはさぁ、普段筋トレとかするの?」
「俺? まぁ、部活でトレーニングはするし、基本的にはほぼ毎日運動してるかな」
「へぇ……僕は体育くらいでしか運動しないからなぁ……」
「あ、萩が筋トレしたいって話?」
当たらずとも遠からずな藪沢くんの発言に、それでもまた首を傾げる。ちょっと話が歪んできていないかと。まぁ、あながち間違ってはいないのだけれど。
「萩くんね、最近ちょっと肥えたかもって言ってるの」
「えー? いやむしろ痩せ型なんじゃ……?」
芹さんから事の発端を聞いた藪沢くんは、僕のことを上から下まで眺めて、何か納得したように頷いた。
「まあ、気にするんならそれこそ筋トレしたらいいと思うよ。家でも簡単に出来るし、そうだなぁ、オススメなのは……」
丁寧にスマホで検索しながら、あれこれと提案してくれる藪沢くん。芹さんと志木さんは二人で違う話で盛り上がっているみたいで、こちらには目もくれない。おすすめの筋トレから、プロテインの飲み方に話が移り変わった頃、こちらに歩いてくる知った人影に気がつく。
「あっ」
「ん? あぁ……こんなとこで集まって何してんだ?」
「柳サンこそなんでここにー?」
志木さんの問いかけに「図書室に行った帰り」とだけ告げる柳先輩。
「苺花たちね、みんなで運動しようかーって話しててさ」
「運動?」
「そうそう!」
またしても少しずつ話がずれながら、言葉を交わす志木さんと柳先輩。
会話が運動といえばドラムって全身運動だよね、という風に流れ、そのままドラムトークを始めた二人。話し込むこと数分、柳先輩が何かを思い出したように言った。
「あ、そういえばさっき……」
ブレザーのポケットを漁って出てきたのは、一枚の封筒。
「これ貰ったからお前らにやるよ」
「なにこれー? 貰っていいの?」
封筒を開けた志木さんが中から取り出したのは、一枚の優待券だった。
「どうしたの? これ」
「図書室で先生から貰った」
「なんで?」
「知らん」
「ちょっと苺花、それ何?」
芹さんがひょい、と奪い取ったそのチケットを二人で覗きこむ。それは、スポッチャの優待券だった。
「なになに?」
優待券を覗き込んだ藪沢くんは、パッと顔をあげる。その次に続く言葉は、予想通りのものだった。
「みんなで行こうよ! 柳先輩、ありがとうございます!」
「まあ柳サンが持ってても、一緒に行ってくれる友達なんていないもんねーって、いたぁい!」
手に持っていたハードカバーの本で志木さんの頭を軽く叩く柳先輩、それから、少々オーバー気味にリアクションを取る志木さん。
「じゃあオレは行くから」
「うん! チケットありがと!」
ひらり、と右手を挙げた柳先輩の後ろ姿を見送って、僕たちの意識は再びチケットへと向かう。
「えー? いつ行く? いつ行く?」
「あたしはいつでもいいよ」
「僕も基本的には。藪沢くんは?」
話を振ると、ううん、と少し考えてから元気よく告げられた日付。──それは、今日だった。
そして、四人で死ぬほど遊び倒したその翌日。僕は、芹さんといつものように屋上へと向かう。
「ねえちょっと、萩くん歩くのおっそいよ」
「ご、ごめん……全身筋肉痛で……」
「なんていうか、要介護老人みたいだね」
結局、僕が運動を習慣にする日は来ることなく、僕たちの高校生活は二年生の冬休みを迎えたのだった。




