9輪目 トレニアーひらめきー
藪沢くんという新しい友達が出来た僕。ようやく高校生活のスタートラインに立った僕を置いていくようにして、学校では大きな行事の準備期間が始まろうとしていた。
「文化祭のクラス委員決めまーす! 今日出し物まで決めないと帰れないので、テンポよく行きましょう!」
この日一番最後の授業──一時間のロングホームルーム。ざわざわした教室に学級委員長の声が響く。
「まず文化祭クラス委員を決めます! 立候補で!」
その瞬間、教室から全ての音が消え、クラスの中で無言の駆け引きが始まる。それは次第にヒソヒソ声に変わり、議論へと発展していく。
僕はといえば、やる気も人徳もないので、何処吹く風だった。それは、隣の芹さんも同じらしくぼんやりと外を見つめている。
暫くして、じゃんけん大会が始まったのを横目でちらりと見やると、その輪の中には、藪沢くんもいた。
何度かあいこを繰り返した後でわっと歓声が起こる。
そうこうしているうちに男女両方決まったらしく、二人の文化祭クラス委員が学級委員長に変わって挨拶をした。拍手が巻き起こる教室の空気に合わせて僕も拍手を送る。男子は藪沢くん、女子は紫乃さんという上品な子。
会議は、藪沢くんが指揮をとり進めていくらしい。
まず、それぞれ個人からアイデアを募る。そしてそれを選別していくらしい。今あがっているのは、カフェ、売店、お化け屋敷、劇……。
スムーズな場の回し方を見て、へー、すごいなあとぼんやりしていると、突然藪沢くんから指名された。
「萩! 聞いてなかったろ!」
「いや、聞いてたよ」
「ふーん? じゃあ、なにがいいとかある?」
そうだなぁ、と僕は黒板に並ぶ文字を見つめる。
「えっと……複数のアイデアを組み合わせても面白いと思うかな」
「なんだよー! ちゃんと考えてんじゃん。じゃあ他の人にも聞いていくから」
白熱し始めた議論をぼんやりと聞きながら、ちらりと芹さんの方を見やる。
議論には参加しなくても行方は気になるらしい。その瞳はまっすぐに黒板向けられていた。
「芹さんはなんかある?」
藪沢くんが芹さんに問いを投げかける。
「えっ、あ、あたしは……カフェ? とか良いかなって」
「なるほどね。ありがと!」
まさか声をかけられるとは思っていなかったのだろう。少し困った顔をしながら僕の方をちらりと見た芹さんは、ふにゃりと笑った。
「じゃあ絞ったものの中から最終候補を出したいので、多数決とりまーす」
多数決かぁと、僕は黒板に並ぶ候補を眺める。色々考えた結果、カフェがいい気がすると思い、それに手を挙げる。
多数決は粛々と進み、結果、僕たちのクラスの文化祭の出し物はカフェになった。
「よし、時間内だな。文化祭クラス委員の二人、ありがとう」
担任が藪沢くんたちを席に帰す。誰が言いだすわけでもなくパラパラと拍手が起こった。
「これから本格的に文化祭の話も進んでいくと思うがみんな、協力してやるように。余った時間でプリント類を配るぞー」
*
数日後。
文化祭の役割分担を決める為のロングホームルームが開催された。今日は前の授業も潰れて丸二時間話し合いになるらしい。
この前のように、藪沢くんが場を仕切り、話し合いが進む。
「うちのクラスはカフェになったので、当日は調理と配膳とレジ係、あと呼び込み兼整列が必要らしいです。これは立候補でいいか。人数多いところはバラすけどとりあえず希望書いてくださーい」
黒板に、調理、配膳、レジの文字が並ぶ。
「萩くん何やる?」
クラスメイトが早速黒板に群がるのを見ながら芹さんが僕に問いかけた。
「うーん、やっぱり調理かなあ」
「あたしも調理かな……」
黒板の前がすいたタイミングを見計らって、二人で黒板に名前を書きにいく。名前の全然書かれていない調理の欄を見て、僕は思った。
……調理って、人気ないんだなあ。
名前は、一番の花形であろう配膳に集中していた。あとは、一番楽そうなレジ。呼び込みもそんなに人気がなさそうだった。
残りのクラスメイトの名前も全て記入が終わり藪沢くんは黒板をまじまじと見つめた。
「んー、ちょっと配膳とレジが多いかなー。こっから、調理と呼び込みに人移動させるから移動してもいいやって人は言ってくださーい。いなければじゃんけんで! 調理と呼び込みの人はそれぞれ集まってて!」
立ち上がろうとするより先に同じ調理の人がこちらに来る方が早かった。それから、主に調理を担当することになったらしい柴乃さん。
ほぼ話したことのないクラスメイトを前にして、会話が弾むでもなく教室の隅でじゃんけんする声を聞いていると早速負けたらしい女の子が僕らの円に加わった。
「ボク、料理なんて出来ないけど大丈夫かな?」
「あ、ハカセ。うん、大丈夫だよ~」
柴乃さんは、困った顔をする女子生徒──風見さんのことを温かく迎え入れる。
そうこうしているうちに大所帯になる調理班。全部で十人ほどになって、話し合いが始まった。
「調理の方を担当することになった柴乃 あきです~。よろしくね」
調理班の中心で挨拶をした柴乃さん。ぱらぱらと小さく拍手が起きる。
「ありがと~。じゃあ、進めていくね。先週決まった、カフェのテーマ、お化け屋敷カフェ。これに合わせたメニューを考えるよ~」
柴乃さんが手元のメモ帳に目を落としながら言う。
「まず、お化け屋敷っぽさを料理でどう表現するか──ここが一番のポイントなんだろうね」
料理が出来ないと言っていた風見さんは、それでも、関心はあるらしい。
「あ、ちなみに、当日使えるのはコンロが二口だけだよ~。あとの道具は申請すれば使えるけど。ボウルとか、そういうのは」
「お化けっぽいかあ、それでいて料理できない人でも作らなきゃなんだよね」
芹さんがそう言うと、柴乃さんは「そうだね」と言って、少し意味深な──例えるならば、親が子に向けるような、そんな視線を芹さんに送った。周りが気付いていたのかはともかく──芹さんの隣に座っていた僕は、芹さんが視線を切るところまでしっかりと見てしまった訳だけれど。
「……簡単な焼き料理とかならいけるのかなぁ。それで見た目を飾りつけるとか」
「でも、デコレーションパーツって高いんだよね」
僕の思い付きに、予算的な問題を提示した芹さん。
「かなりの難問だね。まあその方が解きがいがあるというものなのだけれど」
風見さんはそう言って、不敵な笑みを浮かべる。その後の議論は膠着状態で──結局、答えは出ないままに授業時間終了のチャイムが鳴り響いた。
「じゃあ、次までにメニューは考えてくるってことで~」
柴乃さんの一言で場が締まり、それぞれの席に戻る。そして、そのまま帰りのホームルームを終えて各々帰路についた。
*
家の最寄りの一駅手前で電車を降りる。
すっかり見慣れた街並みを歩き、バイト先の扉を開ける。
「おはようございます」
「おはようさん。早いやん」
「ちょっと考え事したくて……」
適当なところに鞄を下ろしてテーブルにいつも置いてあるメニュー表を広げる。
……文化祭のメニューを考えるのならここが一番良い気がしたのだ。
前菜、サイドメニュー、メイン、デザート。
休憩室に置いてある、客席にあるものと同じメニュー表を順番に見ていくけれど、どれもピンとない。
ぱたん、とメニュー表を閉じると、その様子をじっと見ていたらしい料理長と目があった。
「なにしとんねん」
「文化祭でカフェをやることになって」
「なるほどなぁ、ええなぁ」
「お化け屋敷カフェっていうテーマなんですけど、料理できない人も作れるメニューが良くて」
うーん、と考えた料理長はパソコンの横にあった紙を数枚僕に渡した。
「これな、十月くらいにうちで出そうかと思ってんねんけど、参考になるか?」
その話を聞きながら、パラパラと紙をめくる。
「あ……これ……いいかも……! ありがとうございます!」
「おー、じゃ、今日もよろしくな」
料理長が見せてくれた仮案のメニューのお陰で、問題の突破口が見えた気がした。バイト中も、メニューを考えるのが止まらなかった僕は──二十一時ちょうどに退勤すると、急いで家へと帰り、寝る準備もそこそこに勉強机に向かった。