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ききょうくんとなずなさん  作者: Nas
二年生の頃のお話(後)
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79輪目 ガーベラー常に前進ー

「あら、おかえり」

「ただいま」


 京都を昼過ぎに出て、家に帰ってきたのはちょうど夕飯時だった。三泊四日の旅行で疲れていたのと、荷物の多さに「早く帰ろう」と特に寄り道もせずにみんなとは別れ帰路についたから、みんなも多分、各々の家についている頃だろう。

 行きよりもお土産で増えた荷物を持ってリビングへ行くと、母親がテレビを見ながら煙草を吸っていた。

 いつも、夜出掛けるまで部屋から出てこないのに珍しい……と思いながら、お土産の仕分けをする。あぁ、そうだ。途中でアイスを買ってきたから、それも冷凍庫に入れなくちゃ、と冷蔵庫の前で作業をしていると、こちらを見ていたらしい母親と目が合った。


「な、なに……?」

「別に。随分大荷物なのね」

「あ、うん。バイト先のお土産と……あと……」


 ふと止まる、荷物を仕舞う手。偶然か、それとも何かのお告げか。


「……あのさ、これ、よかったら食べない?」

「なに? お土産?」

「うんそう」

「まだ時間もあるし……いいわよ」

「……うん! ちょっと準備するから、待ってて」


 手に持ったままのお土産──京ばぁむと、きな粉、それから、先程冷凍庫に仕舞い込んだバニラアイス。

 せっかくだからと、白い少し大きめの皿にそれらを簡単に盛り付ける。


「あんた本当に器用なのね」

「え、そうかな?」

「そう、この間……あれは……いつだったかしら。そう、夏にサンドイッチ作ってたじゃない」

「あぁ、うん」


 夏に作ったサンドイッチ……それは、芹さんと屋上で食べるために作った残りのもの。

 食べてくれたらいいかな、くらいの気持ちで置いておいたものを、母親は食べてくれたのだ。


「あれ、美味しかったわよ」

「あ……うん」


 そうして、適当に切り上げられた会話。そういえば、こんなにゆっくり話したのもいつぶりだろう。目の前に座る母親が、きな粉のかかったバニラアイスにスプーンを突き立てたのを確認して、僕も目の前のデザートを口に運ぶ。


「うん、美味しいわね、このきな粉」

「あ、だよね。美味しかったから買ってきちゃった」

「子供の頃もほっとくときな粉味ばっかり食べてたものね」

「そう、なんだ? そうそう、このお店、パフェも美味しくてさ……」

「楽しかったんだ?」

「うん……」


 話し始めてから思い出す、以前母親に言われた「学校に遊びに行っているの?」という言葉。続く言葉を飲み込んで、ちらり、と様子を伺うと、今は特に怒っている風ではなかった。それどころか、「楽しかったんならいいけど」なんて、相反する言葉を呟いた母親に少し驚きの視線を向ける。


「なに?」

「い、いや、なんでもない……」

「そういえば今度、三者面談よね」

「あぁ、うん……」

 

 進路に関する、三者面談。それは、冬休みに入る直前に行われる。


「あんたの好きなところに行けばいいからね」

「……あ、うん。わかった」

「ごちそうさま。美味しかったわ」


 皿の上の物を全て平らげて、空の食器を洗った母親は、リビングから出る直前に僕に言った。


「また……食べやすいもの作ってくれたら嬉しいんだけど」

「え、あ、うん……」

「それじゃあ仕事行ってくるから」

「いって、らっしゃい……」


 ばたん、と玄関のドアが閉められて、微かに聞こえる足音が遠ざかっていく。


「また、作ってくれたら嬉しい、か……」


 食べ終わったお皿をよけて、ダイニングテーブルの上に突っ伏して目を閉じる。

 ──母親は、何が好きなんだろう。好きなところに行けばいい、ってことは、就職するって言ったら応援してくれるのだろうか。


 ……これまでに、こんなに母親のことを考えたことがあっただろうか。いや、きっと、多分ないのだろう。考えても実体のひとつも掴めないのだから。


 翌日の土曜日。旅行の疲れが溜まっていたらしい僕が目を覚ましたのは、正午になろうという時間だった。

 いつもよりも長い眠りから覚めて、リビングに行くとそこには、個包装のお餅が何個か入っている大袋が置いてあった。

 ……今日のお昼ごはんは、きなこもちかなぁ、なんて思いつつ、冷蔵庫を開ける。料理をしない母親はこの四日間、買い物をほとんどしていないらしい。ほとんど何も入っていない冷蔵庫には、仕事終わりの母親がいつも持って帰ってくるコンビニ弁当すら入っていなかった。

 これは、遠回しにご飯作ってね、ということなのだろうか。

 冷蔵庫の前で少し考えてから、以前話題になっていた"おにぎらず"を作ろうと思いたった僕は、自分のお昼ごはんを用意する傍らで早速準備に取り掛かった。



 ──それをきっかけにして、僕と、僕の母親の日常は少しだけ変わっていくことになる。

 僕は、これまで自分用にしか作っていなかったお弁当を二人分作るようになって、深夜の時間帯で働いている母親は、ほんの少しだけ起きるのが早くなった。そして、それに付随するようにして、一緒に夜ごはんを食べることが増えていた。基本的にテレビを付けっぱなしだから、二人でそれを見ているだけで会話はあまりないのだけれど。


「萩くんさぁ、最近お弁当の日多いよね」

「あー……うん。お母さんの分も一緒に作るようになったからかな」


 十一月の終わり、一年の最後の月を目前に控えたとある昼休み。いつものように隣に座る芹さんは「ふぅん」と呟いて、それ以上言及することはなかった。


「あ、そういえば苺花がクリスマスパーティーしよって言ってたよ」

「そうなの? あ、でも僕クリスマス当日は多分バイトだと思う」

「あたしも。だから、二十六日か二十七日にやろうって」

「それなら行けるかなぁ……」


 クリスマスパーティー、か。どこで何をするんだろう。志木さんが発案者ということはきっと、藪沢くんも来るだろう。


「……それにしても寒いっ」

「流石にこの時期はね」


 マフラーを広げて、その中で縮こまる芹さん。


「明日から教室にしとく?」


 僕の提案に、指先に息を吐きかけてから芹さんは答えた。


「んー……うん……そうだね……」

「嫌そう」

「嫌っていうか……まあでも風邪ひくよりかマシだよね……」

「まあでも、暖かい日はここでもいいし」

「うん」


 ──長かったようにも、短かったようにも感じる秋の季節も、そろそろ終わるらしい。

 いつの間にか冬の空に変わっていたことに僕は気が付いて、空に浮かぶ雲を見上げながらぼんやりと考える。

 この秋は、なんだか色々あった気がする。僕のまわりでは、藪沢くんがキャプテンになったりだとか、そういえば、志木さんも部長になったと言っていた気がする。柳先輩は、生徒会長を引退して……。僕自身は、何か変わっているのだろうか。


 静かな屋上に、昼休みの終わりを告げるチャイムが響いて、僕たちはその場から立ち上がる。

 次、ここに来るのはいつになるだろう。もしかしたら明日かもしれないし、来週かもしれない。寒さに耐えかねて、次の春までお預けかもしれないけれど。


「はーぎーくんっ」


 入口に向かって歩いていた僕の背中を芹さんの手が叩く。


「あっ、ごめん。なんかちょっと考えごとしてた」

「そうだったの? なんか心ここに在らずって感じだったから声掛けちゃった」

「いや、なんかさ、周りはどんどん変わっていってすごいなーって」


 キョトンとした芹さんは、それでもすぐに優しく微笑んで僕に言った。


「萩くんもさぁ、成長してると思うよ?」

「え、そう、かな……?」

「うん。あたしが保障する!」


 テンポよく階段を降りていく芹さんと並んで歩く。僕が、成長しているとすれば、それはきっと──彼女のお陰だ、なんて思いながら。

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