76輪目 クチナシーとても幸せですー
お茶を飲みに入ったお店は、飲食スペースの奥に、小さな雑貨売り場が併設されていた。注文したお茶が届くのを待つ間、どんなものがあるのだろうと売り場をを眺める。
キーホルダーに小物入れ、ポーチなど。どれも京都らしい和風な柄で作られていて、スペースの割に色々なものが置いてあるような、そんなイメージだった。
目の前に座る芹さんも、後ろに広がる雑貨売り場が気になるのだろう。しきりに後ろを向いている。
「お待たせいたしました」
運ばれてきたのは、二人分の抹茶とお茶菓子のセット。
濃い緑色のお茶からは、普段飲んでいるペットボトルのお茶とは比べものにならないくらいの良い香りが漂っていた。
お茶菓子は、小さな三色団子と、ピンク色の砂糖菓子。
「お茶菓子を先に食べるのが作法らしいよ」
そう言った芹さんが一番最初に口をつけたのはピンクの砂糖菓子。
続いて手に取ったのは、お茶碗。それを半回転させて一口。
「へぇ……芹さん、お茶の作法知ってるんだ」
「昔、でもないか。椿がね、教えてくれたの」
「つば……いや、冬咲さんのお茶、文化祭の時に飲んだよ」
あれももう、一ヶ月以上は前の話か、とつい最近にも思える出来事を脳裏に描く。
あの時は「作法は気にしなくていい」という言葉に甘えたけれど……。
「せっかくなら僕もそうしてみようかな」
着物の袖に気を付けながらピンク色の砂糖菓子を口に含む。どこか上品な甘い味を楽しんだあとは、お待ちかね、メインのお抹茶。
なるほど確かに、お菓子の甘さの余韻がお茶の味わいを引き立てているように感じる──と思いながらその風味を楽しんでいると、こちらをじっと見つめている芹さんの視線に気付く。
「どうしたの?」
「いや……」
歯切れの悪い芹さんは、両手でお茶碗を持ち上げ一口飲むと、迷ったように口を開いた。
「萩くんさ、背が高くてすらっとしてるからさ、着物似合うし……指も長くて様になってるなぁって思っただけ、だよ……」
後半にいくにつれて小さくなっていく声。真っ直ぐな褒め言葉に僕は、きっと挙動不審になっていることだろう。
「え、あ、ありがとう」
「ちょっと、そんなに照れられるとこっちも恥ずかしいんだけど……」
「そう言われても、なんだけど……」
お互いにじっと見つめあって、そして同時に笑い合う。
「ちょっと、手出してみて」
芹さんの言う通りに、左手を差し出す。何をするのかなんて聞かなくてもわかる。
予想通りに重ねられた、僕よりも一回りくらい小さな柔らかい手。
「ね、全然違うでしょ」
「んー、うん」
悪戯っ子のように笑う芹さんはきっと、狼狽える僕を見て楽しんでいるのだろう。それならばこちらも少し悪戯してみようと、重ねられた手を軽く握る。
「なっ……!」
驚いた様子で手を引っ込めた芹さんは耳まで真っ赤にしながら唇を震わせていた。
軽くかわされるだろうなんて思っていた僕は、思いもよらない反応に顔が熱くなるのを感じる。
「……ちょっと、からかいました……」
「ふふ、萩くん、顔真っ赤だよ」
口もとを押さえながらクスクスと笑う芹さんにつられて僕も、小さく笑う。
甘くて落ち着かなくて、そして……なんて、幸せなのだろう。文化祭の後、想いを伝えて良かった──だなんて思うのは至極真っ当なことだろう。
目の前に座る芹さんも同じ気持ちなら良いと思って、またひとつ笑った。
「美味しかったねー」
「うん、でもちょっとお腹いっぱいかも」
お腹をさすりながらそう笑うと、芹さんも同じようにお腹に手を当てて「あたしも」と苦笑いをした。
「ここから清水寺まで歩いたらさ、ちょうどいい運動じゃない?」
「うん、そうだね……あ、その前にさ、ちょっと向こう見てもいい?」
「あ、あたしも見たかった!」
飲食スペースの奥にある雑貨屋さんを二人して眺める。
そこは、動物をモチーフにしたキーホルダーが一番の売りらしく、壁の大半を使い和柄と動物が絶妙なバランスで調和されたデザインのキーホルダーがずらりと並べられていた。
その中で一番最初に見つけたのは、ペンギンのモチーフ。
……あれは、まだお互いのことをよく知らなかった一年生の頃。
遠足で行った動物園で同じように二人並んでお土産を見ていた。そして、お互いに買ったのは──。
「あ、萩くん、見てみて」
芹さんの手に握られていたのは、あの日と同じクマのキーホルダー。
つぶらな瞳がこちらをじっと見つめていた。
「こっちも、ほら」
僕が差し出したのは、ペンギンのキーホルダー。
あの日とまるっきり同じ展開に、思わず笑みが漏れる。
「じゃあさ、お揃いで買おっか」
そう言って屈託なく笑った芹さんの提案を断る理由など、僕にある訳がない。
こうしてひとつ、携帯に新しいストラップ──今度はペンギンが増えたのだった。
*
「うんうん、可愛い」
携帯から伸びて揺れる二つのストラップを指で弄びながら歩く芹さん。
柄のないシンプルなケースに付けられたそれは、ちょっとしたアクセントになっているように思う。
「よかったね」
「うん、あっ、お店着いたね」
歩くこと三十分弱。着物をレンタルしたお店にたどり着いた僕たちは、ここに来た時の服装──つまり、洋服へと着替えると、着なれた動きやすい服装にホッとしつつも少し名残惜しさを感じた。
「お待たせ、じゃあ、行こっか」
少し遅れて出てきた芹さんと共に、集合場所である京都駅へと向かう。
今日これからの時間は、旅館へと移動して、部屋で晩御飯を食べ、その後は外出禁止の自由時間──のはずだった。
同室のクラスメイトと平和にトランプをしていた僕が、彼からの連絡を受けるまでは。
「……夜は外出禁止じゃなかったっけ?」
京都の夜は、とても冷え込むらしい。そうとも知らずに薄着で出てきた僕は、凍えそうになりながら僕を呼び出した張本人にそう問いかける。
「まあまあ、そう言うなって」
「……そのニット帽、暖かそうだね」
「だろ? まぁ……貸してあげないけどな。なんでそんな薄着で来たの?」
「いや、こんな寒いとは思わなくって……」
「まあこれくらいの慈悲はくれてやるよ」
はい、と渡されたのは彼の上着のポケットから出てきた長方形の白い布のようなもの。恐らくホッカイロ。
「……って、冷えてるじゃん!」
これならない方がマシだと言うくらい冷え切ったそれを突き返して、僕はまた凍える。
ホッカイロの持ち主──藪沢くんは、誰かを待っているらしくまだ歩き出す気配がない。
凍え死ぬのが先か、移動するのが先か──と考えはじめた頃に、藪沢くんが待っていたであろう人物がようやく現れた。
「ごめん! 先生の目盗むのに苦労してた」
「無理そうなら無理して出てこなくても良かったのに」
「え? だって面白そうだったから。ハカセがうまく匿ってくれたし」
そうか、芹さんはハカセ──もとい、風見さんと同じ部屋だったのか、と思い、それと同時に脱出劇の様子が鮮明に思い起こされる。
「この近くの神社の参道にさ、屋台出てるんだって。ちょっと行ってみようよ」
僕達は藪沢くんの案内で、近くにある──平安神宮へと向かうことになった。




