【リ・ヴィクトリー③】
「もう着いていけないよ……」
三月の下旬。一年生の終わり。
柳と共にバンドを組んでいたベースの女の子は、練習中にぽつりとそう漏らした。
その言葉を受け、ボーカルの女子生徒とギターの男子生徒も動きを止める。
重い空気に包まれたスタジオ。その中で一番最初に最初に口を開いたのは柳だった。
「……着いていけないって。オレ言っただろ。練習量が足りてないだけだって……」
「してるよ! 練習!」
柳の言葉にそう叫んだベーシストは、溜まったものを吐き出すように、息を吐いた。
「家でもっ、休日でもっ、練習してる! それなのに……っ。まだまだだって、そればっかり」
「オレ達が集まった時、どのバンドよりも上手くなろうって、みんなでそう言っただろ」
「それは分かってるけどさぁ! もう、楽しくない、辛いだけだよ。ウチにとってこのバンドは……っ」
ポロポロと大粒の涙を流す女の子に、柳たちはただ立ち尽くすしかなかった。
そうして過ごした何分間を引き裂いたのは、フロントからの時間終了の電話だった。
「あ、はい、はーい。延長はなしで」
その電話を取ったのは、ボーカルを務める男子。
彼は、場の空気を変えるよう努めて明るい声色で言った。
「ま、真面目にやってたらこういうこともあるよ。集まる予定はちょっと先にして、春休み入るし個人練習強化ってことで」
それが解散の合図となり、それぞれ帰路に着く。いつもならば反省会をするところだが、それも一切無かった。
柳は一人帰り道を歩きながら、あの四人で演奏することはもうないだろうという、根拠の無い想像をただ膨らませていた。
*
「やーなぎっ」
「うわっ、音もなく近寄らないでくださいよ。というか卒業したばっかりですよね?」
柳が二年生になり、一八が高校生になった、四月の中旬。
生徒会室で一人ぼんやり過ごしていた柳の元に現れたのは、ついこの間卒業したばかりの一八だった。
「聞いたぞー結局ライブもせずに解散したって」
「……そういうの、どっから漏れるんですかね?」
「さぁな〜」
一八は適当なパイプ椅子を手繰りよせ、自身が生徒会長を務めていた時のようにどっかりと座った。
「単に、お前の本気に着いてこれる奴等じゃなかったってだけだろ。気にすんなよ」
「なんですか? 励まし?」
「いーや。ドラム叩いてる時のお前は楽しそうだったなって思っただけ」
「別に……このまま辞めてもいいかな、って思ってますよ……」
力なくそう言った柳は、一八の目には項垂れているように見えた。
コイツも落ち込むことがあるんだな、と何故だか笑みが漏れる。
「柳、手出して」
「手?」
柳は、一八に言われた通りに手のひらを差し出す。
「こんなにさ、今でもマメ出来るくらい頑張ってんならそんなこと言うなよ。それにお前、勉強も熱心だからもう俺より音楽に詳しいじゃん」
「……」
本心を見透かされたような居心地の悪さを感じた柳は、すぐに手を引っ込める。
一八は、その様子を見て無邪気に笑った。
「そーいや、新入部員入ってんの?」
「あぁ、オレの幼馴染が一人連れて入部届出しに来てましたね。あとはまあちょこちょことって感じですけど」
「ふぅーん、じゃあ、廃部にはならなさそうか」
「はい、まあ」
「そっかそっか。ま、あんま落ち込むなよ」
「別に落ち込んでません」
「はいはい。じゃあ俺は先生達に会ってくるから。じゃあな」
一八は立ち上がると、椅子をそのままに生徒会室を後にした。柳はため息をついて、その椅子を片付ける為に腰を上げる。
──もう、校内でオレとバンド組んでくれるやつなんて居ないだろうな。
柳は、それならそれでいいと思っていた。
父は未だ軽音部に対して理解を示してくれていないし、自分と同じ方を向いていける人なんてきっといないと諦めていたからだ。
それに、自身がバンドを続けられるタイムリミットもあるだろうと思っていた。
中学を出れば高校に行き、そこでさらに勉強をして、国内最高峰の大学の薬学部へと進学する──その道中、バンド活動が荷物になる日がくる。それは、薄々勘づいていた。
それでも。
最初にドラムを触った時の高揚感。それから、人と音を合わせた時の言い知れぬ多福感は、いつまでも柳の心に絡み付いて離れようとしなかった。




