69輪目 柳ー自由、従順ー
「風見がさ、ブラザーブラザーうるさいんだよ」
長い沈黙の後にそう言った柳先輩に僕は、曖昧に返事をすることしか出来なかった。
「苺花も、なずなも……お前のことやけに気に入ってるみたいだし……」
歯切れの悪い柳先輩に、さて、なんと言ったものだろう。
そもそも僕は……彼のことを、よく知らない。
初めは、全てを見透かしているような瞳が怖いと思った。次に会ったのは文化祭の当日で、彼は僕のことを──思い出したくもないけれど女装コンテストに無理やり出場させた。
その後は確か、新入生歓迎会で演奏を見た、はず。ステージの上でドラムを叩く柳先輩は、とても楽しそうだと──そう思った。
そして、夏休みに保健室で少し会話をして、文化祭ではどこか雰囲気の違う柳先輩がいて、そして、風見先輩と出会ったんだ。
「柳先輩って……」
さて、この次になんと言ったものだろう。……なにを、僕は言いたいのだろう。
ぐるぐると考えた結果出た言葉は、なんの捻りもないストレートな言葉だった。
「どれが、本当の柳先輩なんですか?」
僕の質問を受けてぴたりと止まる柳先輩の動作。一点を見つめて、何かを考えて──いや、何かを思い出しているのかもしれない。
しばらくして口を開いた柳先輩は「……お前、人たらしって言われない?」そんなことを僕に聞いた。
「いや……言われないですよ……そもそも友達そんなにいないですし……」
「ふぅん? よっぽど、周りの人間は見る目ないんだな」
「え……」
褒め言葉、とも取れるその言葉。空になった缶コーヒーの容器をゴミ箱に捨てながら柳先輩は続ける。
「まあ……なんていうか、色々ちょっかいかけて悪かったよ。軟弱そうな奴の何がいいんだって思ってただけだから」
「いや、別にそんな……」
「……なずなのこと、よろしく頼む」
「はい……」
「そろそろ戻──」
柳先輩の言葉を遮って、勢いよく開く生徒会室の扉。
「リンチ現場!?」
それと同時に響く、物騒な単語。
「違えよ」
ぱちん、と声の主の頭を叩いて淡々と告げたのは柳先輩。
「じゃあ密会現場だ!」
そんな柳先輩にめげずに笑って言ったのは、志木さん。
「志木さん! なんでここに?」
「やー、図書館行こうと思ったらさ、珍しい組み合わせが見えたからさ! 柳先輩、萩くんのこと借りてっていい?」
「……あぁ」
「ありがと! じゃ、行こっか」
「あの、どこに……?」
「んー……ま、適当に!」
志木さんに連れられてきたのは、いつか志木さんと二人で話した踊り場。
早速本題──というように、志木さんは口を開いた。
「特別用事があるわけじゃないんだけどね? なんかやっぱり、珍しい二人だなーって」
「……話の内容が気になると?」
「んふふ、聡い人だねぇ」
「そんな大したことじゃないよ……」
興味深い、というように目を輝かせて僕を見つめる志木さんに、話の内容を掻い摘んで説明する。全て聞き終わった志木さんは、ニコニコとしながら僕に言った。
「そっかぁ、柳さん、彼氏さんのこと気に入ってるんだね」
「え? そ、そうかな」
「うん、だって、柳さんは自分の内にいる人以外には優しいもん。そんなこと、言ったりしないよ」
「そうなの、かな?」
でも確かに──藪沢くんは、彼のことを普通に優しい人だと評した。それは、藪沢くんと柳先輩の仲がそこまでではないから、とするならば説明もいくというもの。
「うん。きっとそうだよ! 柳先輩ってね、お父さんが厳しい人でね。あっ、ダメだよ? 今からする話本人にしたら!」
「うん……それは、大丈夫。志木さんと柳先輩は付き合い長いの?」
「初めて会ったのが苺花が六歳の時だったかな」
……と、いうことは十年来の付き合いが二人にはあるのか──と頭の中で計算をする。
「何繋がり? 家が近所とか?」
「家は近くないけどね、親に連れて行かれたパーティーで」
「パーティー!?」
そういえば……いつだったか、芹さんが"苺花の家は豪邸だ"と言っていた。
「あれ? 言ってなかったっけ? 苺花のおじいちゃん、病院を経営しててね。んで、お父さんもお医者さんなの。で、柳先輩のご両親は製薬会社の偉い人で──まあ、業界のパーティーがあるんだよね」
「へえぇ、スケールの違う話……」
「いやいや! 親がお金持ちってだけで、苺花達はみんなと一緒だよ? ……まあ、前置きはこれくらいにしといて。柳先輩って、ちっちゃい頃からお父さんに厳しく教育されてたらしくてさ。いわゆる一般科目もそうだけど、作法とか、立ち振舞いとかね。トップに立つ人にならないといけないって」
漫画みたいな話だ……と思いながら、耳を傾ける。志木さんは僕の様子をちらりと窺うと、咳払いをして話を続けた。
「柳さんのお父さん、無駄を一切許さない人だから、ほんとはバンド活動もやらせたくなかったはずなんだよ。でも、そんなお父さんの意に反してでも柳さんは、やりたかったみたいだね。何かに惹かれたんだろうね」
「……高校卒業まで、っていう約束で……?」
「あれ? なんで知ってるの?」
「風見先輩がそう言ってて……バンド続ける、とも」
「そっか、知ってたんだねぇ。柳さんにとっての音楽活動は、親への反抗心なのかもね。ずっとさ、一本道を歩いてきた柳さんが初めて自分で見つけた道なのかも。柳さんはさ、まだ、自分探しの途中なんだよ……って思ったら可愛く思えない?」
くすくす、と志木さんは悪戯に笑う。志木さんはきっと、その様子をずっと側で見守ってきたのだろう。
「……志木さんて……柳先輩のこと、好きなの?」
「えっ!? ないない! だってあの人恋愛観最悪だもん!」
「そっか、そうだね……」
「でもね、柳さんとなずなは、うまくいくと思ってたのにな……」
「……」
志木さんの呟きに思わず黙り込むと、ハッとした顔をして志木さんがフォローを入れる。
「違うよ!? 別に、なずなと彼氏さんがお似合いじゃないって言ってるんじゃなくて」
「いや、うん……」
「柳さんがさ、なずなに落ちた言葉、トクベツに教えてあげるね!」
──本当の柳先輩って、どんな人なんですか?
「あれ、遅かったね?」
「うんちょっと……連れ回されてた……」
教室に戻った頃にはもう既に始業時間の三分前だった。隣の席にはいつもの様子の芹さん。
……どんな顔して話せばよいのだろう、なんて思いながら教科書をスクバから取り出していく。いや、いつも通りが正しいのだろうけれど。
間もなくチャイムが鳴って、担任の号令で朝のホームルームが始まる。
背もたれに身体を預けながら僕は、柳先輩って寂しがりやなのかも──そんな、答えを出していた。




