66輪目 ベゴニアー愛の告白ー
「はぁ、なんかどっと疲れた」
風見さんが機械のメンテナンスをしている間、僕と芹さんは廊下に追い出されていた。曰く、狭いし見られてるとやりにくいから。
「働き詰めだったもんね、お疲れ様」
「萩くんもね」
受付用の机に突っ伏していた芹さんが顔を上げた瞬間、夕陽に照らされたピアスが光を反射してきらめく。
ブルートパーズのピアス。大いに見覚えのあるそれは、芹さんの誕生日に贈った、僕からのプレゼント。
「あ……それ、してたんだね」
「うん。普段はダメだけど……今日くらいはいいかなって。あ、ていうかごめんね、椅子占領してて」
「いや、それは大丈夫……あのさ」
「ん?」
「明日……後夜祭ちょっと、二人で抜けない?」
僕のその誘いに、目をまんまるに見開いて、数回瞬きをした芹さん。うっすらと開いた唇は何も言葉を発さない。息をするのも忘れそうな程の空気に、これは完全に言い方を間違えたのでは──と冷や汗が頬を伝う。そんな空気を引き裂いたのは、僕のことを大声で呼ぶ、風見先輩の声だった。
「やあ! ブラザー!」
「か、風見先輩? ……って、あれ、風見ってもしかして……」
風見……撫子さんと風見先輩は兄妹? ……そんな疑問を浮かべる僕と、若干冷ややかな目で先輩を見つめる芹さんを交互に見て納得したように風見先輩は頷いた。
「ガールフレンド?」
「や、違いますけど」
間髪入れずに否定する芹さん。この手の質問を芹さんは嫌う……と、いうのはここ一年半程で学んだことだ。
「そっかそっか」
短い返事の中に含まれる哀れみと同情。場の空気を変えようと僕は口を開く。
「ところで風見先輩、何か用事が……?」
「あぁ、マイシスターがね、まだここにいるって言うから」
そう言って許可も無しに教室の中へと入っていく風見先輩。
しばらくして中から聞こえてくる会話。
「やあ撫子。待たせてごめん、迎えに来たよ」
「あぁ、兄さん? ボクは別に待ってなかったけどね」
「そんな釣れないこと言わずにさ、そろそろ帰れるかい?」
「こっちはそろそろ終わるけど、あ、兄さん」
「うん?」
途切れた会話。風見先輩の悲鳴と大きな物音。察するに、誰かが──いや、風見先輩が転んだのだろう。
芹さんもその音に驚いたようで僕と目を合わせて首を傾げる。
……とはいえ彼女は椅子から動くつもりはないようで僕が中の様子を見に行くことになった。
「風見先輩?」
「ブ、ブブブブラザー!」
尻もちを付いたままの風見先輩の手を取って立ち上がらせる。
ニヤニヤと悪い笑みを浮かべている風見さん。今のこの状況はきっと彼女の悪ふざけによるものなのだろう。
「兄さんにとっての萩氏がブラザーなら、ぼくと萩氏もきょうだい同士になるのかな?」
「いや……二人に挟まれて生活するのはちょっと……それより、何があったの?」
「そんなにハッキリ否定しなくてもいいじゃないか。ただの悪ふざけさ。じゃ、兄さん帰ろうか。あ、そうそう萩氏」
教室を出ようとする先輩には聞こえない、僕だけに聞こえる声で風見さんは言った。
「ファイトだよ、萩氏。それにしたってなかなかオツなもんじゃないか」
「え、なんの話……あっ」
冒頭の会話を、風見さんは聞いていたのか──僕は突然小っ恥ずかしくなってここが暗闇で良かったと強く思う。
二人は教室を出るなり振り向きもせずに帰路につく。
「ごめんお待たせ」
「……帰ろっか?」
机にだらんと寝そべったままの芹さんに声をかけると、ゆっくりと起きあがって席を立つ。荷物はすでに纏められていたようで、帰り支度にはそう時間はかからなかった。
「……明日さ、花火持ってこようかな?」
「花火……怒られない?」
芹さんの提案にそう返すと、芹さんの視線は階段の上に向けられる。
「いや普段から怒られるようなことしてるじゃん」
「それも……そうだね」
立ち入り禁止の屋上。それを越えたあの日から、僕の生活の中心にはいつも芹さんがいた。
開け放たれた、重たい扉から僕を見つめた澄んだ春空。それから、僕を見下ろした芹さんの、少し冷たい瞳に誘われた去年の春。
僕の学校生活がこんなにも充実したものになると、過去の僕は想像していなかった。
「最近さ、慌ただしかったしね。二人でのんびり……線香花火でもしながら後夜祭聞いてよっか」
「あ……うん」
「じゃ、あたし買ってくるね。明日、楽しみだね」
「うん……」
僕は明日、告白をする──。
空に咲く花火を見ながら、線香花火を散らしながら。
*
翌日。
やけに緊張して全く眠れなかった僕は、いつもより早く起きたものの結局予定通りの時間に学校についた。
今日は朝一の来場者に室内用のスリッパと、文化祭のパンフレットを手渡す仕事があるだけで他の時間はほぼフリー。
正門近くに設けられたテントの中で、パンフレットを捲りながら開場時間を待つ。
「萩くん萩くん」
「ん? なに?」
隣に座る芹さんが楽しそうに僕の名前を呼ぶ。
「買ってきたよ。アレ」
「あ、ほんと? 楽しみだね」
「うん……あ、そういえば」
芹さんはパンフレットの後ろの方のページを僕に見せつけながら言った。
「出ないの?」
「……出ません」
白い歯を見せて悪戯に笑う芹さんの指先が示す文字──そこには、女装コンテストの文字が印刷されていた。
今年は、柳先輩に捕まらないようにしなくては……と静かに息を吐く。
そんなやりとりをした数分後。
文化祭の二日目が幕を開けた──。
僕は、今日はどこに行こうか──そんなことを考えながら、それでも頭の中は夜のことでいっぱいだった。
*
「こっちこっち」
楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、後夜祭の始まりを知らせるバンド演奏を聞きながら芹さんに連れてこられたのは、人気のない校舎裏。
「ちょっと待ってね、ろうそく付けるから」
日暮れ時に灯ったろうそくは、時折吹く風に静かに揺れる。
芹さんは線香花火を取り出して、一束を僕に渡した。
「線香花火なんて久しぶり……」
芹さんはそう言いながら、線香花火をろうそくの先にかざす。
少し遅れて弾けた花火に、目を輝かせる芹さん。
「僕も、すごく久しぶり」
そもそも最後に花火をしたのがいつだろう。記憶を遡ってみても思い当たらないから、もしかしたら手持ち花火自体したことがないのかもしれない。
会話もなく、二人の間で輝く花火だけを見つめる。
いつ言おう、そうだ、線香花火が最後まで出来たらがいい。そんなことを考えていたら、突然吹いた風が二人の火種を攫っていった。
「あー! あとちょっとだったのに。萩くんちょっと、こっち来て」
風上に移動した芹さんに手招きされて、その横に並ぶ。腕同士が触れそうな程の、それでも、いつもと変わらない距離感に、今日はやけに緊張する。鼓動が伝わって震える指先では、線香花火も長続きしない。
結局、最後の一本になるまで線香花火は成功しなかった。
僕は、どこか縋るような気持ちで最後の花火に火をつける。
「萩くん、なんか静かだね」
「そう?」
「うん。でも、線香花火下手だね」
「ね、ほんとに……」
最後の力を振り絞るようにしてより一層輝く線香花火。
最後の最後にそれは──綺麗で儚い終焉の姿を見せた。
成功した。成功してしまった。
僕は、すぐ隣で線香花火を見つめる芹さんに、考えるより先に静かに告げた。
「あのさ、そのまま聞いてほしいんだけど……芹さんのことが、好き、です。えっと、多分、ずっと前から」
息が詰まりそうな程に高鳴る心臓。僕の言葉に反応してこちらを見上げた芹さん。その瞬間に落ちた火種。
すぐ近くのグラウンドから耳に届く喧騒がやけに遠く聞こえる。
後夜祭も、そろそろ終わるのだろう。花火があがるカウントダウンが始まる。
その中心にいるのであろう藪沢くんは、きっと来年の文化祭実行委員長。
……関係ないことに対してやけに回る頭に、心臓の音がやけに響いて聞こえて煩い。
いつの間にかのぼっていた月の明かりに照らされた芹さんは、震える唇で僕の告白に応えようと口を開いた。
その言葉を一句も漏らさないように耳を傾ける。
小さく呟いた芹さんの言葉を掻き消すかのように、文化祭の終わりを告げる派手な花が散った。




